E.キューブラー・ロスの看護理論:死の受容過程(実践に生かす中範囲理論)

『新訂版 実践に生かす看護理論19 第2版』(サイオ出版)より転載。
今回はキューブラー・ロスの「死の受容過程」について解説します。

 

中島小乃美
佛教大学保健医療技術学部看護学科 教授

 

 

死の受容過程と主な概念

キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間-死とその過程について」は、死とその過程が5段階として著されているため、発表されてからしばしば、この“段階”という言葉が問題となり、「死にゆく人が必ずしもこの段階をたどるわけではない」などの批判があった。

 

また、わが国においても翻訳が出版された後、大きな反響があった。しかし、当時はまた告知自体がタブーであったことから、わが国においては必ずしも当てはまらないといった指摘もあり、この5段階ばかりが一人歩きし、当てはめることに視点が集中してしまった側面がある。

 

しかし彼女自身も以下のように述べている。

 

「わたしたちの目標は、はっきりした5つの段階を次々に通らせ、最終的に受容へ到達させる、ということではないのだと認識することが大切です。(中略)わたしたちの目指すところは患者のニーズを引き出すことにあるべきです。いま、かれがどこにいるかを見つけだすこと、そして、かれの病気、あるいは事故と実際の死との時間的距離が長い短いにかかわりなく、わたしたちがかれを、どんな形で、どんな仕方で助けられるだろうかを発見することでなければなりません」1)

 

このように、この“段階をたどること”に固執することで、本来の意義を見失ってはならない。

 

この過程は、常に患者の最も重く深い問題に正面から向き合い、患者の声を聞くことによってのみ導き出された結果であるということをまず、ふまえておく必要がある。

 

彼女が何より心を痛めたのは、死にゆく人に起こる心身の変化が周囲の人々に理解されずに孤独なまま亡くなっていくことであった。死にゆく人々との対話のなかで、その人の想いを知り、周囲の人々とともに患者から学び、それによってかかわる人々の人格をも成熟させることができると考えていたことを理解しておく必要がある。それでは著作を元にして、この5段階をみてみたい(図1)。

 

 

図1死の受容過程の諸段階

死の受容過程の段階を表した図版

出典:E.キューブラー・ロス著、鈴木晶訳:死ぬ瞬間-死とその過程について、完全新訳改訂版、p.374、読売新聞社、1998

 

 

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第1段階 否認と孤立

患者は診断を知らされると衝撃を受け、それを自己防衛する手段として否認という反応を見せることが多い。

 

それは不快で苦痛に満ちた状況に対する健康的な対処法で、ショッキングな知らせを受けたときにその衝撃をやわらげるものとして、この否認という機能がある。患者はそこからしだいに回復していく。

 

最初の麻痺したような感覚は消えていき、ふたたび落ち着きを取り戻すと、「いや、私であるはずがない」と思うようになる。

 

これも普通の反応である。日常的に、自分が死と向き合わなくてはならないと考えることなど、ほとんどないからである。

 

患者は、一旦はそのような状況になるが徐々に否認を捨て、もっと穏やかな防衛システムを使うようになる。

 

その過程は、患者がどのように告知されたか、この避けられない出来事を徐々に認識していくのにどれくらいの時間が必要だったか、そしてこれまでの人生においてこの危機的状況に対処する準備ができていたかどうか、によって大きく左右される2)

 

 

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第2段階 怒り

否認の段階から、怒り・激情・妬み・憤慨などの感情に変わる。

 

「どうして私なのか」という激しい気持ちは、見当違いにあらゆる方向へと向けられ、あたりかまわず周囲に投げつけられる。

 

これが問題となるのは、私たちには患者の怒る理由が思い当たらず、本来、患者の怒りとその対象となる人とはまったく、もしくはほとんど関係ないのに、それを自分個人に向けられたものとして、私たちがとらえてしまうということにある。

 

患者の怒りが理解できるものであろうと、不合理なものであろうと私たちがそれを受け止めていくことが大切である。

 

患者は怒りを表すことで、最後のときをよりうまく受け入れられるようになろうとしている。

 

それを理解して、私たちは患者の話をよく聞き、ときには不合理な怒りを受け止めることすらも学ばなくてはならない。

 

それができるようになるためには、私たち自身にも自分の抱いている死の恐怖や、苛立つ気持ちや、攻撃的な情動があることを直視し、私たちのこのような感情が患者の反応を見誤り、患者のケアを妨げることもあるのだということを自覚しなければならない3)

 

 

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第3段階 取引

この段階は取引を試みる段階である。

 

第2段階で自分以外の人間や神などに対して怒りをおぼえ、その後、この「避けられない結果」を先に延ばすべくなんとか交渉しようとする段階に入っていく。

 

たとえば、神などの大いなる力に対して、よりよい行いをすることで延命を乞うといったことである。

 

このような状態が強く現れる患者の場合、秘密の罪悪感と関連している場合もあり、軽視すべきではないとキューブラー・ロスは述べていることからも4)、過去に解決されないまま抱えていることがあるかもしれないため、表出できるようなかかわりが必要である。

 

 

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第4段階 抑うつ

この段階には大きく分けて2つの事柄が関与している。

 

第一に、重い病気が発覚し入院治療となるとお金が必要となり、貯金を使い果たしてしまったり、長期に仕事を休まざるをえなくなったりするため、離職や休職を余儀なくされることから生じる抑うつである。

 

第二には、死期の近い患者にとっては、この世との永遠の別れのために心の準備をしなくてはならないという深い苦悩から生じる抑うつである。

 

1つ目を反応的な抑うつ、2つ目を準備的な抑うつということができる。

 

1つ目のタイプの抑うつでは、患者は他人の介入を必要とし、話し合うことや、ときには色々な分野の人たちの積極的な介入により、効果がある場合がある。

 

それに対して2つ目の準備的な抑うつの場合は、多くの人の積極的な介入よりも、患者の気持ちの整理がつくように静かに見守りつつ、孤独にしないような対応が必要となる。

 

手を触れることで通じるものがある場合もあれば、黙って一緒にいるだけで十分な場合もある5)

 

 

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第5段階 受容

患者にある程度の時間があり、これまでのいくつかの段階を通過するにあたって何らかの援助が得られれば、自分の置かれた状況に対する怒りや抑うつが軽減して、最後のときが近づくのを静観するようになる。

 

患者は疲れ切っていたり、衰弱がひどくなっており、まどろんだり、頻繁に短い眠りを取りたがる。

 

「どうにもならない」「もう闘う力がない」といった意味の言葉を耳にすることもあるが、それは決して諦めや絶望的な“放棄”を表しているのではない。

 

この受容を幸福な段階と誤認してはならない。受容とは感情がほとんど欠落した状態である。

 

それまでの苦闘が終わり、「長い旅路の前の最後の休息」が訪れたように感じる患者もいる。

 

自身の死を受け入れることができた患者は、周囲に対する関心が薄れ、面会者と話をする気力もなくなるときがある。

 

こうした患者とのコミュニケーションは、言葉を使わないものとなり、黙ってそばにいる、身体をさするなどをしつつ傍にいることで、患者は最後まで近くにいてくれるのだと確信する。

 

一方、この時期は、患者以上に家族に援助が必要な時期といえる。患者が積極的な治療を望まず、言葉数が少なくなるといよいよ死が近づいたことを実感し始め、家族や周囲の者がどのようにかかわってよいかわからず、動揺してこの状況を受け止められないと言った状況が起こる。

 

患者は、黙って話を聞いてくれる人のそばで怒りを吐き出し、行く末の悲しみに泣き、恐怖や幻想を語ってもよいのだと感じ、感情を吐露できることで受容が可能になる。

 

このようななかで、キューブラー・ロスは受容の段階に比較的容易に達成できるタイプがあるという。

 

あるタイプの患者は、周囲からの助けをほとんど借りずに受容に達する。このようなタイプの人は、苦労を重ねて働き、子どもを育て上げ、務めを果たして、人生も終着に近づいていると感じている。

 

自分の人生の意味を自身で自覚し、充足感を得ているような患者である。このような場合には、周囲は干渉しないで見守ることが大切である。

 

もう1つのタイプは、死の準備に十分な時間と、周囲の助けと理解があれば、あらゆる段階を通過し、受容にたどりつくことができる。こうして、積み重ねてきた人生の終着点で、これまでの人生を振り返り、人生という環が完結するのである6)

 

 

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希望

これまで5段階をみてきたが、どんなに現実を認め、受け入れることができた人でも、新しい治療法や新薬の発見、あるいはそれらが自分にとって“ぎりぎりで間に合う”などの可能性をあきらめていない。

 

こうした一筋の希望が、果てしなく続く苦痛のなかで患者を支えている。

 

この苦しみに耐えることができたら最後は報われる、そうした思いを支えにしている。

 

患者がこのような一筋の希望を抱いているにもかかわらず、医療スタッフや家族がもう希望はないことを伝えてしまう場合がある。

 

そして、決してあってはならないことだが、口には出さなくとも医療者側の感じている諦めの気持ちを患者が感じ取ることがある。

 

どのような重篤な患者であっても末期だからという理由で医療者が先に諦め、匙をなげてはいけない。医学の限界を超えた患者にこそ十分なケアが必要である。

 

また一方で、患者が死を受け入れられているにもかかわらず、家族が必死に希望にしがみつこうとする場合がある。そのような家族の気持ちを患者はしっかり感じ取り、家族の希望に応えようとする。

 

このような場合は、どちらにとってもつらい結果となることが多いため、医療者は患者と家族の話をしっかり聞き取り、必要な介入を行っていく必要がある7)

 

 

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事例への応用

 

事例

70歳代男性、食道がん身長163cm、体重50kg BMI 18.82。

 

3年前に脳梗塞を発症したことから、左の上下肢に運動障害があるが、完全麻痺ではない。この直後に食道がんがみつかり、化学療法と放射線療法を受けた。翌年に咽喉頭摘出術、後縦隔経路胃管再建術を受け永久気管孔を造設した。そのため、発声ができず、経口摂取もできなくなり、腸ろうを造設して栄養を摂取していた。

 

性格は、会社を経営していたこともあって強引なところがあった。妻に時々暴力をふるうこともあったため、その関係は決して良好とはいえず、妻は必要なものを置くとすぐに帰ってしまっていた。本人にも妻にも病状や現在の状態、今後予測される事態などの説明は行われていたが、妻は、患者の状態が変わっていることは認識しているものの、治ると信じており、気持ちの整理がつかない様子であった。

 

娘は、患者にとっては自慢の娘であったが、妻と一緒でないと面会に来ることはなかった。しかし、医師から現在の状況について説明を受けた後、患者の余命を受け入れ、父親のためにできることをしようという思いになっており、少しずつ関係に変化がみられ始めていた。

 

現在は、取り切れなかったがんを覆うように肉芽が形成され、それが徐々に肥大化して呼吸困難を起こしていた。ステント手術も考慮されたが、出血して気道を防ぐ可能性があるため見送られた。また肺炎を併発したため腸ろうからの栄養は中止となり、中心静脈栄養に切り替えられた。

 

医師からは、いつ何が起こってもおかしくない状況であることが伝えられていた。全身倦怠感が日を追うごとに増し、発声ができないことと、脳梗塞の既往もあることから、身体が思うようにならない苛立ちで物を投げつけるような行動もみられ、看護記録からは意思疎通困難、理解障害があるとされ、コミュニケーションが難しい患者としてとらえられていた。また頻回にナースコールがあり、看護師はその対応に苦慮していた。

 

学生は4年生で、学生生活最後の実習でこの患者を受け持った。しかし、どのようにかかわってよいのかわからず、戸惑った。今までの経験や、標準看護計画などをみても方向性がみつけられず途方に暮れたが、とにかく、患者のベッドサイドを訪れ、頻回なナースコールの意味と患者のニードを知るところから始めた。

 

 

看護上の問題

  • #1 呼吸困難、不眠、不安に関連した安楽障害
  • #2 疾患による麻痺と全身倦怠感に関連したセルフケア不足
  • #3 気道内分泌物、唾液の誤嚥による誤嚥性肺炎発症のリスク
  • #4 栄養状態と倦怠感による臥床状態に関連した褥瘡のリスク

 

ここでは、看護上の問題#1について、学生のかかわりをとおして、死の受容過程を考察する。

 

 

▼看護目標

不安や苦痛および自身のニードを表出し、自身の希望するケアを受けることで安楽を感じることができる。

 

 

▼看護計画

1患者は細かなニードを表出し、好む方法で充足することができる。

当初はどのようにかかわってよいかわからなかったため、学生はベッドサイドに行くことに恐れを感じている。

 

しかし、頻回にナースコールがあることから、どのようなニードがあるかを知る必要があると考えた。

 

ベッドサイドには痰を拭き取ったティッシュや、含嗽したガーグルベースン、ペットボトル、雑誌などが無造作に置かれていたため、毎朝、環境整備から始め、1日をとおして頻回にベッドサイドを訪れ、環境を整えた。その際に患者に問いかけ、ニードを確かめることにした。

 

しかしながら、患者は発声ができないため、コミュニケーションを取ることが容易ではなかった。

 

当初は患者の口の動きが早く、読み取ることができなかったり、ジェスチャーを読み違えたりすることもあり、苛立ちを顔に出されることもあった。

 

何度か聞き直し、要求を確認しているうちに患者自身も伝えるコツをつかんだ。患者がゆっくり口を動かすようになったことで、徐々に話すことが理解できるようになっていった。

 

学生は、患者のニードに応えようと、とにかくよく動いた。患者のニードは、「氷枕を変えてほしい」「団扇で扇いでほしい」「含嗽時の氷水をコップに入れてほしい」「ガーグルベースンを取ってほしい」「氷枕は氷のゴツゴツ感が少し残るものがいい」「起こしてほしい」「身体を掻いてほしい」「マッサージをしてほしい」などであった。

 

学生が患者のニードに合わせて動けるようになってくると、患者に笑顔や安堵の表情がみられ、感謝の言葉やジェスチェーで自分の思いを表現されるようになった。

 

このかかわりは、患者が会社を経営していた経験もあり、社長と部下のような関係性で、患者に受け入れやすかったものと考えられる。

 

しかし、学生はすべてを行ってしまうことは、患者の残存機能を維持する力を奪ってしまうのではと考え、できるところは自身で行えるよう、計画を修正した。

 

その結果、患者は自身で多くのことができなくなっている現状を自覚し、喪失感を感じることになってしまった。

 

けれども関係性が構築され始めていたことから、どこまでできて、どこからができないのか、ニードを細かく尋ね、できることを共に喜び合うことで、より深く患者のニードに応えることができていた。

 

 

2患者は、リラクセーションを取り入れた日常生活援助を受けることで、清潔感や安らぎを感じることができる。

看護上の問題#1と#2の看護計画として、日常生活援助にリラクセーションの要素を盛り込んだ実施計画を立てた。

 

1つは、マッサージを兼ねた手浴と足浴である。受け持ち初日は端座位を保持することができていたが、日に日に倦怠感が増強し、臥位で過ごすことが多くなっていたため、できるだけ負担を軽くするために、クッションやバスタオルで安楽な体位をつくった後に、ビニール袋に泡をたくさんつくり、その中に手、または足を入れ、泡で包み込むようにおおった。

 

洗い流すときは患者の好みの湯温にすること、洗浄後はホットタオルで包み込んで温熱刺激をしっかり感じられるように行った。

 

このときは、一緒に実習を行っていた他の学生も手伝い、賑やかな援助となった。

 

もう1つの援助はマッサージである。肉芽による気道圧迫で努力呼吸となっているため、肩や背部の筋肉が凝っており、よくマッサージを希望されたことから、側臥位や、短時間の座位でマッサージを行った。

 

最初は血行促進を目的に軽擦法のマッサージを行い、少し筋肉がほぐれたところで、手掌を使って軽く圧迫し、揉捏法のマッサージを行った。

 

 

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患者の揺れ動く気持ちと死の受容過程

1患者と学生との関係性の構築と、患者の喪失感

この患者の場合は、がん告知から3年が経過しており、最初の衝撃、「否認」、「取引」といった時期ではなく、時間的経過でみるならば、「抑うつ」、「受容」の段階であると考えられる。

 

受け持ち当初は、表情も険しく、自分の意思が伝わらないことに苛立ち、丸めたティッシュを投げつけるようなところもみられた。

 

初めて死に至る病を宣告されたわけではないものの、急速に悪化する状態を受け止めきれないでいるものと考えられた。

 

また、患者自身の病がどんどん進行していくなかで、ぎくしゃくしたままの家族関係、思うようにならない身体、自分の意思をうまく汲み取ってくれない医療者に苛立ちを募らせていたものと考えられる。

 

そのようななかで学生は、患者のニードを知るために頻回に訪室し、戸惑いながらも、患者を知ろうとしていた。

 

患者からの求めに対応している最中に看護師が訪れ、「学生さんがいていいね」と声をかけると、患者は看護師に向かって笑顔であっちへ行けという仕草をした。

 

これは患者が徐々に心を開いていったことがわかるエピソードである。

 

そして実習4日目になり、患者のニードが少しずつわかるようになった段階で、学生は患者の日常生活上の全てを行ってしまうことによって患者の自立を妨げることに気づき、できることは自分で行うように実施計画を修正した。

 

結果的に、患者は自身が思っている以上に体力が低下していることを実感することになり、「喪失」と「諦め」を感じることになった。

 

しかし、そのようななかで患者ができる範囲を理解し、望む形で援助しようとしたことは、患者が思うようにできなくなっていることを学生にさらけ出して受け容れるきっかけとなり、学生をその相手としたのだと感じられる場面であった。

 

 

2ニードが満たされ、笑顔がみられる

リラクセーションをかねた手浴の際には、力を抜いてリラックスしている様子がみられた。

 

そして足浴の際には、目を閉じたまま温かさを味わいながら問いかけに答える様子がみられ、険しい表情で周囲を散らかり放題にしていた患者とは別人のようであった。

 

また、保湿クリームを塗りながらマッサージを行った際には、照れ臭そうな笑顔がみられた。

 

このような様子からケアによって少しずつ患者と学生が心を通わせていったことがわかる。

 

言動には現れていないが、このようなケアを通しても「受容」の過程を少しずつ進んでいったものと考えられる。

 

 

3ニードが伝わらないことへの苛立ち、「怒り」、「諦め」、矛盾

受け持ち5日目のことであった。午後から医師の説明があるということで、患者も少し落ち着かない様子であった。

 

学生は、なんとなく今日は調子が悪いなと感じ、バイタルサインを測定した。患者の口の動きで“お腹”ということまではわかるものの、その先がわからず筆談に切り替えたが、前日までのように真意が伝わらない。

 

そのうちに患者は「もっと勉強しろ!」と怒りをぶつけた。

 

学生はどうしてよいかわからず、一旦退室した。

 

午後になり、医師の説明のために妻が訪れ、そこに学生も同席することになった。

 

患者は学生に団扇で扇いでほしいことを訴え、医師の説明の間、学生は団扇で患者を扇ぎながら厳しい説明を一緒に聞いていた。

 

医師がステントを入れるかどうかを尋ねると、患者は黙って首を振った。あまり表情が変わることはなかったが、悲しそうな感じがしたと学生は後にふり返って述べていた。

 

そして、わからなかったことは明日までに勉強してきますと伝え、退室しようとすると、患者は「気をつけて」と手を振って見送っていた。

 

このときのことを学生は、前日まで笑顔を見せていた患者が突然、怒りをぶつけてきたことに対してショックを受けたが、「繰り返し伝えているのに伝わらないことへのもどかしさ」と「医師の説明がよくない話であるということを確信していたためではなかったか」と振り返っていた。

 

これは、「怒り」の感情に加え「諦め」の感情もあったように思われる。

 

そして学生はこのような患者の反応に困惑しつつ、自分自身も信頼した人に怒りをぶつけることがあるように、看護師以外で学生に対してそのような感情をみせたことから、自分を信頼してくれていると感じた瞬間であったと振り返っていた。

 

そして無言で首を横に振った患者の悲しそうな表情をみて、学生は「抑うつ」と「受容」の過程を行き来しているのではないかととらえていた。

 

 

4「抑うつ」、涙、そして「受容」

実習も2週目になると、妻は毎日訪れるようになり、以前よりも長い時間、患者とともに過ごすようになっていた。

 

学生の受け持ち期間中に娘とも会うことができるほど、家族の関係も改善しはじめていた。

 

実習最終日に、学生はこれまでの感謝の気持ちを込めて、複数のケアを計画に入れていた。

 

この日は患者も学生が最後であることがわかっていたためか、「暑いから扇いで、寒いからやっぱりいい」と言ったり、足浴を行う説明をすると「今日、手浴はしないのか」と言ったり、矛盾する発言がみられた。

 

そのため学生は、手浴のかわりにハンドクリームを使ってマッサージを行うことにした。

 

今までのことを話しながらマッサージを行っていると、患者は心地よいというサインのOKをしながら静かに涙を流し、学生とは目を合わせず天井をみつめている様子がみられた。

 

午後から他の学生も手伝いに入り、アロマオイルを使って足浴を行った。

 

声かけに反応しながらも目を閉じて、時折、学生たちが投げかける冗談に笑顔を見せながら静かにケアを受けていた。

 

実習終了時、学生が感謝の気持ちを伝えたところ、患者は「行かんといてくれ」と学生にしがみついて涙を流した。

 

学生はどのような言葉をかけてよいのかわからないまま、ただただ手を握るしかなく、しばらくそのまま共に時間を過ごした。

 

やがて患者は落ち着きを取り戻したため、別れの言葉を述べて学生はその場を後にした。

 

学生はこの日のことを振り返り、要求がバラバラであったことは、学生がベッドサイドから離れないようにする意図があったのではないかと述べていた。

 

このことから、終末期の患者には孤独感を感じさせないよう寄り添うことが何よりも必要なケアであり、看護師はケアという行為をしようとするのではなく、目の前で起きていることをありのまま受け止め、患者と同じ視点で物事を見ようとすることが大切だと学び取っていた。

 

そして学生は、実習初日からいろいろな患者の表情を見てきたなかで、最終日に見せた涙と穏やかな表情が印象的であり、それは、自らの状態をようやく「受容」することができたからで、それまでにもっていた希望は失われてしまったけれども、今後のことを見据えたような感じがしたと振り返っていた。

 

患者はこの学生との関係のなかで自らの感情を表出し、自らの置かれた状況をはっきり受け入れることができたように思われる。

 

ところで、学生がかかわったのは、この患者が病名を告知され長い闘病生活に入り、終末期の段階に入ったころのたった2週間という短い期間であった。

 

この間のかかわりをもってキューブラー・ロスのいう“段階”からこの患者の状態をとらえることには限界がある。

 

しかし、この学生が困惑したり、動揺したりしながらも患者と向き合い続けることができ、多くを学ぶことができたのは、この5段階が提唱され、患者はさまざまな心理的側面をみせることがあり、それは決して特別なことではない、ということをキューブラー・ロスが明らかにしたからだということができる。

 

 

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おわりに

キューブラー・ロスが「否認」、「怒り」、「取引」、「抑うつ」、「受容」の5段階を発表してから50年近い年月が流れた。

 

この5段階が提唱されたことで、時代や文化の違いを超えて、終末期の患者のさまざまな反応が、医療者にとって“困った患者の困った反応”ではなく、誰でも起きることであるととらえられるようになった。

 

人が死を意識し、揺れ動く思いのなかで自身が死ぬことを受け入れ、そのときを迎えるということを、医療者はもちろんのこと、一般の人々も理解するようになった意義ははかりしれない。

 

そして何より大切なことは、キューブラー・ロスが、死にゆく患者から学ぼうと対話し続けた姿勢に大きな意味がある。

 

5段階からだけではなく、彼女の著作のなかに取り上げられている多くの患者の声と、彼女の姿勢から、時代や文化を越えてもなお学ぶところが大きい。

 

しかし一方で、“段階”という言葉だけをとらえると、違和感は否定できない。

 

“段階”ではなく、“局面(phase)”ととらえたほうがしっくりくると感じることもあるであろう。

 

そのようななかで改めてキューブラー・ロスの著作を読み直してみると、現在ならば、死後の生に興味をもったことも死の過程を研究する者であれば当然の流れであったことと理解できるようにも思う。

 

しかし現代においても、そこにとらわれることは本質を見失うことになる。

 

彼女は多くの著作の中で、死を考えることで、生きることの本当の意味を考えることができるということを示した。

 

その彼女の晩年の著作の1つは、『ライフ・レッスン』である。5段階のなかの「受容」は、このレッスンを終えた人が到達することのできる状態であるとするならば、やはり“段階”なのかもしれない。

 

キューブラー・ロスは、死はその人のたましいが、その身体を離れるときなのだと考えた。

 

ちょうどサナギが蝶となって羽ばたくように、身体という殻を破ってたましいが旅立つのだと考え、彼女はポーランドのマイダネクの強制収容所で見た蝶の絵の意味を25年後にこのように理解した。

 

最後に、『ライフ・レッスン』で述べられている項目を眺めてみたい。

 

①「ほんものの自己」のレッスン、②愛のレッスン、③人間関係のレッスン、④喪失のレッスン、⑤力のレッスン、⑥罪悪感のレッスン、⑦時間のレッスン、⑧恐れのレッスン、⑨怒りのレッスン、⑩遊びのレッスン、⑪忍耐のレッスン、⑫明け渡しのレッスン、⑬許しのレッスン、⑭幸福のレッスン、そして最終レッスンとなっている。

 

死にゆく人々から学び、死にゆく過程を明らかにした彼女は、最晩年に自身も思うようにならない身体を抱え、何度も早く肉体から解放されたいと思いながらも、自分はまだ学ぶべきレッスンがあるから生かされていると述べている8)

 

人生はさまざまなレッスンを経て、最終段階へと向かっている。これらのどのような時にも患者と共にあり、患者の思いを知り、患者とその家族が望むありかたで寄り添い、最善を考え、患者とともに学びながら、生きることと死ぬことを支えるのが看護という仕事であるといえる。

 

 

キューブラー・ロスについて(詳しく見る) キューブラー・ロスについて

死は、誰にでも訪れるものであるが、普段の生活のなかで意識して生活している人はほとんどいないであろう。

 

人は、病や災害や障害などと向き合って初めてそのことに気づくのが正直なところである。

 

とくにがんは、かつては不治の病の代表であり、最後まで激しい痛みを伴うとして恐れられていた。

 

早期発見・早期治療が提唱されている現代においても、病名が告知されたときはショックを受け、死を意識せざるをえない。

 

ホスピスの創立者であるシシリー・ソンダース(C.Saunders、1918~2005)と時代をほぼ同じくするエリザベス・キューブラー・ロス(Elisabeth Kübler-Ross、1926~2004)もまた、当時、あまり顧みられることのなかった死にゆく人々に寄り添い、その心身の苦しみに向き合ってきた医師である。

 

彼女は、子どもを含む多くの死にゆく人々に寄り添い、特徴的な5つの段階があることを明らかにした。

 

このことにより、死にゆく人の家族も医療者も個々の患者が見せるさまざまな状態に向き合い、理解する必要性を認め、アメリカが終末期医療に積極的に取り組んでいくきっかけをつくった。

 

このようなことを成し遂げたキューブラー・ロスという人はどのような人物だったのであろうか。

 

彼女が提唱した死にゆく過程の5段階を理解するために、まず彼女の背景に触れ、彼女が医師として活動し始めた1960~1970年代のアメリカの社会背景をふまえて考えてみたい。

 

歴史的背景

キューブラー・ロスの生い立ちからみる人間観・生命観

彼女は1926年、スイスのチューリッヒで三つ子の第一子として生まれた。兄と両親の6人家族で、自然豊かな環境のなかで育った。

 

しかし彼女はそっくりな3人姉妹のなかで、自分はあくまでも“三つ子の1人”でしかなく、早く一個人として自立したいという意識を強くもっていた。

 

高校を卒業する頃には医師になる希望をもっていたが、父親にビジネス関係の仕事に就くよう強く勧められ、それに反発して、第二次世界大戦中は生化学研究所や病院で、実験の助手や血液サンプルをとる仕事をしながら、夢の実現に向け模索していた。

 

彼女は永世中立国であるスイスで育ったことで直接の戦争体験はなかったものの、戦後、国際平和義勇軍として、戦争による爆撃で荒廃したフランスの農村やベルギー、ポーランド、ベルリンでボランティア活動として医療活動に携わり、戦争の悲劇を目の当たりにした。

 

活動を終え、その地を離れるときにポーランド国内の強制収容所マイダネクへ立ち寄ると、そこで奇跡的に生き延びた1人の少女に出会った。

 

「いざとなったらあなたも残虐になれる。ヒトラーはわたしたち全員のなかにいる。憎しみと復讐に生きるのであればヒトラーと同じ。そういう人を1人でも愛と慈悲に生きる人に変えることができたら、生き残った甲斐がある」

 

と語るこの少女との出会いが、彼女を極限状態に置かれた人間の内面の葛藤に向き合わせるきっかけとなったと思われる。

 

また、キューブラー・ロスの生涯のモチーフになる蝶の絵ともこの収容所で遭遇していた。

 

「それは石片か、で壁のいたるところに描かれ、殺伐とした収容所に蝶のモチーフはあまりにもかけ離れており、なぜなのかわからないまま25年の歳月を費やした」9)と述べている。

 

ポーランドからベルリンへ向かい、東西が分断されていく様子を間近で経験し、さらに自身もチフスによって生死の境をさまよう経験をした。

 

このような人間の生命力や根源的な力、極限状況における善悪について深く考える経験をして、ようやくスイスに戻った彼女は、もとの病院の医師の下で検査と研究の助手として復帰し、医学校への入学資格試験の猛勉強を始めた。

 

無事、合格し大学に進んで1957年にチューリッヒ大学医学部を卒業した。そして在学中に知り合ったアメリカ人留学生マニー・ロス氏と結婚し、1958年にアメリカに渡った。

 

 

キューブラー・ロスが活躍した頃のアメリカ

1950年代後半から1960年代のアメリカは、第二次大戦後の東西冷戦の影響で絶えずソ連(旧ソビエト社会主義共和国連邦)との核戦争を意識していた。

 

また1950年代半ばにはベトナム戦争が本格化し、1973年にニクソン大統領が終結宣言を出すまで、絶えずアメリカを悩ませていた。

 

またこの時期は、ルーサー・キング牧師の活動をはじめとした公民権運動が盛んになり、人種差別撤廃の気運が高まっていた。

 

また女性解放運動などが起こり、伝統的な性差による役割分担ではなく、個人の意思で職業が選択でき、そこに差別があってはならないという動きが起こっていた。

 

医療においては、科学技術に対する研究費が大幅に増額され、最先端の医学で世界のリーダーをめざす気運があった。

 

しかし一方で第二次世界大戦後の退役軍人の多くが“心的外傷性後ストレス障害(PTSD)”を抱えており、社会問題となっていた。

 

光と陰のように、新しい手術法や救命技術、新薬の開発に力が注がれ光があたる一方で、精神を病んでいる人や死にゆく人々は隅に追いやられているような状況であった。

 

そのようななかで彼女は、女医として仕事をみつけなければならなかった。

 

レジデントとしてようやくみつけた病院は、最も希望しなかった州立の精神病院であった。このときのことを彼女は、以下のように述べている。

 

「当時のわたしに精神病に関する知識がどれほどあったのか? なにもなかった。

だが、人間のいのちについては知っていた。そして、患者が感じている悲惨、孤独、恐怖に正面から向き合った。

患者がなにか話しかけてきたらかならず応えた。訴えにはよくをかたむけ、自分なりの返答をした。

気持ちがつうじるようになった。患者はもうひとりではなく、怖がらなくてもよいのだと感じはじめていた」10)

 

これは、彼女の患者に対する姿勢がよく表れている。常に人間対人間として接し、寄り添いながら改善方法をみつけようとする姿である。

 

このようなかかわりによって、当時は人として対等に扱われていなかった劣悪な環境の精神病院のなかで、多くの患者を退院できるまでに改善させるという結果を残した。

 

この病院で働き始めて2年目に長男が生まれた。それを機に新たな職場に就いた。

 

そこで数か月もすると、多くの医師が死にまつわる事柄を避けるのが普通であることに気がついた。

 

「私は死ぬんですか?」と尋ねるがん患者に対し、「何をバカなことをいっているのですか」と相手にしようとはせず、瀕死の患者が精神病患者にもおとらぬほど冷酷な扱いを受けているのを目の当たりにした。

 

自分の周囲の医師たちが死にゆく患者を理解しようとしているとは思えないなかで、彼女は患者と対話を重ねるようになり、その結果、瀕死の患者のなかで触れ合いや交流を渇望していない人は1人もいないという確信を得たのであった。

 

1962年に、上司の教授の代わりに教壇に立つことになったキューブラー・ロスは、将来、医師になる人たちに知ってほしい精神医学の知識とは何かを考え、すべての医師に共通するものは、すべての患者と医師がやがて直面しなければならない “死”であることに思い至った。

 

しかしそれは、医学における最大の謎であると同時に、それは当時、最大のタブーでもあった。講義内容と方法を考えるにあたって、16歳の白血病の末期の少女に、率直に現在の気持ちを語ってもらうことを思いつき、また少女自身も喜んでそれを引き受けた。

 

講義当日、教室に少女が現れると、学生たちはざわめいた。キューブラー・ロスが質問するよう学生に促すと、ようやく出てきた質問は症状に関するものばかりで、少女自身の気持ちを聞く学生は誰もいなかった。

 

少女は怒りを爆発させた。そして「16歳で、あと数週間しか生きられないってどういうことなの? ハイスクールのダンスパーティーに夢を託すこともできないってどういうこと? デートもできない、おとなになって仕事を選ぶことも考えられないってどういうこと? そんな毎日を過ごすときに、何が助けになるの? なぜみんな、ほんとうのことをいわないの?」と語った。

 

その語りに学生たちは言葉を失った。このときの衝撃は、学生たちにもキューブラー・ロスの心にも大きな影響を及ぼした。

 

この患者と学生の反応から“死にゆく患者のことばに耳を傾けさえすれば、生について無限に多くを学ぶことができるのだ”という確信を得た。

 

この後、キューブラー・ロスは1963年に第二子の女児を出産し、1965年にシカゴ大学付属のメディカルセンターに勤務することになった。

 

そこでいよいよ本格的に死にゆく人との対話から、その実際を明らかにしようとする試みが始まった。セミナーとして始まったこの講義は、2年後には医学部と神学部の正式な授業になった。

 

アメリカでさえも病名の告知がまだタブー視されていた時代において、それは画期的なことであった。

 

この何人もの死にゆく人との対話からまとめられたものが死とその過程の5段階である。

 

 

 

引用・参考文献 引用・参考文献

●引用文献

  • 1)E.キューブラー・ロス著、川口正吉訳:死ぬ瞬間の対話、p.110、読売新聞社、1977
  • 2)E.キューブラー・ロス著、鈴木晶訳:死ぬ瞬間-死とその過程について、完全新訳改訂版、p.62~66、読売新聞社、1998
  • 3)前掲書2)、p.79~82
  • 4)前掲書2)、p.123~126
  • 5)前掲書2)、p.129~132
  • 6)前掲書2)、p.169~178
  • 7)前掲書2)、p.206~211
  • 8)E.キューブラー・ロス著、鈴木晶訳:「死ぬ瞬間」と死後の生、p.7、中央公論新社、2001
  • 9)エリザベス・キューブラー・ロス著、上野圭一訳:人生は廻る輪のように、p.121、角川書店、1998
  • 10)前掲書9)p.192

 

●参考文献

  • 1)青栁路子:E・キューブラー=ロスの思想とその批判-シャバンによる批判を手がかりに-(上)、死生学研究、6:259~277、2005
  • 2)青栁路子:E・キューブラー=ロスの思想とその批判-シャバンによる批判を手がかりに-(下)、死生学研究、7:371~399、2006
  • 3)E.キューブラー・ロス著、川口正吉訳:死ぬ瞬間-死にゆく人々との対話、読売新聞社、1971
  • 4)E.キューブラー・ロス著、川口正吉訳:死ぬ瞬間の対話、読売新聞社、1977
  • 5)E.キューブラー・ロス著、鈴木晶訳:死ぬ瞬間-死とその過程について、完全新訳改訂版、読売新聞社、1998
  • 6)E.キューブラー・ロス著、鈴木晶訳:死、それは成長の最終段階-続 死ぬ瞬間、中央公論新社、2001
  • 7)E.キューブラー・ロス著、秋山剛・早川東作訳:新 死ぬ瞬間、読売新聞社、1985
  • 8)デレク・ギル著、貴島操子訳:「死ぬ瞬間」の誕生-キューブラー・ロスの50年、読売新聞社、1985
  • 9)E.キューブラー・ロス著、鈴木晶訳:「死ぬ瞬間」と臨死体験、読売新聞社、1997
  • 10)E.キューブラー・ロス著、鈴木晶訳:「死ぬ瞬間」と死後の生、中央公論新社、2001
  • 11)E.キューブラー・ロス著、上野圭一訳:人生は廻る輪のように、角川書店、1998
  • 12)E.キューブラー・ロス、デーヴィッド・ケスラー著、上野圭一訳:ライフ・レッスン、角川書店、2005
  • 13)菊井和子、竹田恵子:「死の受容」についての一考察-わが国における死の受容、川崎医療福祉学会誌、10:63~70、2000
  • 14)黒田裕子監修:看護診断のためのよくわかる中範囲理論、第2版、学研、2015
  • 15)西村伸子:キューブラー・ロスを基軸とする死にゆく患者ケア-アメリカと日本の文献から考察するターミナルケア、東亜大学紀要、9:17~34、2009
  • 16)堀江宗正:心理学的死生観の臨界点-キューブラー=ロスをめぐって、死生学研究、8:36~61、2006

 

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本連載は株式会社サイオ出版の提供により掲載しています。

 

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[出典] 『新訂版 実践に生かす看護理論19 第2版』 編著/城ヶ端初子/2018年11月刊行/ サイオ出版

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