なぜ肺炎ガイドラインに「治療しない」選択肢を盛り込んだか
【日経メディカルAナーシング Pick up!】
ガイドライン作成委員を務めた大阪大学感染制御学教授の朝野和典氏に聞く
2017年4月末、日本呼吸器学会は成人肺炎診療ガイドライン2017を刊行した(関連記事)。このガイドラインの最大のポイントは、繰り返す誤嚥性肺炎や終末期の肺炎などに対して、個人の意思やQOLを尊重した治療・ケアを行うよう治療アルゴリズムに盛り込んだ。なぜこうした倫理的な観点が最善の治療を記述するガイドラインに盛り込まれたのだろうか。その背景を、ガイドライン作成委員を務めた大阪大学感染制御学教授/医学部附属病院感染制御部部長の朝野和典氏に聞いた。
加藤勇治=日経メディカル
――この4月に成人肺炎診療ガイドライン2017が刊行され、先生は作成委員の1人として参加されました。市中肺炎(CAP)、院内肺炎(HAP)、医療・介護関連肺炎(NHCAP)の3つの肺炎ごとにガイドラインがあったものを1つに統合したほか、HAPやNHCAPの場合、まずは患者背景を評価する治療アルゴリズムを示すなど、新しい視点が盛り込まれていると思います(図1)。作成に当たって先生がお考えになったことをお聞かせください。
朝野 今回のガイドラインには、HAPやNHCAPの場合で、易反復性の誤嚥性肺炎や老衰や終末期にある患者さんに対し、患者さんの意思やQOLを重視した治療やケアを提供すること、言い換えれば強力な肺炎治療を差し控えるということも選択肢の1つとして考えられる、と書いてあります。
この部分について私は、問題提起というか、これから準備していくべきこと、という意味であり、現時点ではまだできないですよね、という意味が込められていると考えています。覚悟がいることですからね。
確かに「治さない肺炎」がありますという概念を伝えようとしていますが、ガイドラインでは、厚生労働省の指針(「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」)や日本老年医学会の考え方(「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン 人工的水分・栄養補給の導入を中心として」)、日本学術会議の「終末期医療の在り方について」を参考にするようにと書いています。つまり、肺炎を「治さない」と判断するならば、まずエンド・オブ・ライフケアチームなどの組織を作りなさい、決して医師一人で判断すべきではありません、多職種で関わり、患者・ご家族への十分なインフォームドコンセントの上で判断をしなさい、ということです。
単純に、老衰や終末期だから治さなくていいというわけではありません。ガイドラインで提言することで、「あなたの施設ではその判断・議論ができる体制がありますか」「体制がないならば体制を作りませんか」ということを提案していると受け取っていただきたいと思っています。
図 成人肺炎診療ガイドライン2017に掲載された診療アルゴリズム
──ガイドラインに「倫理的なことも考慮して治療を選んでもいい」と書かれたのは画期的だというご意見も聞きます。
朝野 そうです。ただし、「治療しない」という選択肢がありますよ、と言っているけれど、実際にはその選択をするのはハードルが高い。そのハードルを超えるために組織として解決しなければいけない。地域で在宅医療を担われている先生は、患者や家族とコミュニケーションする機会が多く、治療について話し合うことも多いと思いますが、特に病院は倫理的なことを判断基準に盛り込むことに慣れていません。倫理的な面を考慮することができる環境を整えましょう、という思いが込められていることを知っていただきたいし、「治療しない」という選択について皆で議論していく必要があるよねという提案だと思っています。
──過去には、厚生労働省が終末期相談支援料を創設したら、医療費の抑制が目的ではないか、患者・家族に選択を迫るものではないか、と誤解や不安が高まり、算定を凍結した経緯があります。また、最近でも終末期の医療に関する患者の事前指示書のひな形を行政が配布したら炎上したというような話もあります。
朝野 批判的な意見はあって当然だと思います。ただ、ガイドラインは、「終末期の肺炎は、治療をやめましょう」と軽率に言っているものではありません。患者さんが終末期にあたりより良く過ごすために医療は何をすべきかを考えるきっかけとしてこの成人肺炎診療ガイドラインができたと思っています。かなりの覚悟を持って作ったつもりです。
私の専門領域で例えるとその昔は、院内感染対策はごく限られた施設が始めて、今では当たり前に多くの病院が取り組んでいます。反対意見があっても、感染対策委員会を作り、ICT(infection control team)を作り、院内の協力を取り付けながら試行錯誤で取り組んできた施設があり、その経験が共有知識となって多くの施設で取り組むようになってきた。新しいことに取り組むには時間が必要ですし、個人だけでなく病院という単位で取り組んで初めてうまくいきました。
この歴史と同じです。エンド・オブ・ライフケアチーム、あるいは患者・家族と一緒にアドバンス・ケア・プランニングを考えるための支援チームを作った施設が少しずつ増え、試行錯誤をしながらも取り組みが広がり、そして病院がこうしたチームを持つことが当たり前になるまで時間が必要でしょう。
今、ガイドラインのフローチャートで誤嚥性肺炎の有無や終末期・老衰かどうかを判断するステップがあり、そうであった場合に「個人の意思やQOLを考慮した治療・ケア」を考えることになっていますが、今はまだ小さな小川が流れているぐらいです。そちらに水はほとんど流れていかない。でも、少しずつ医師を含めた社会が議論をして運河を作っていこうと。こちらに向かう流れがあってもいいじゃないか、という考え方がガイドラインの根底にあるわけです。
敗血症診療に歩調を合わせる
──ガイドラインでは治療薬を決定する際の判断基準に敗血症の有無を評価することを盛り込みました。
朝野 このガイドラインで注目していただきたいもう1つのポイントです。集中治療の概念、具体的には敗血症かどうかを評価するという視点を盛り込みました。
これまで肺炎、特にCAPはA-DROPという方法で重症度を評価してきました。年齢(男性70歳以上、女性75歳以上)、脱水(BUN 21mg/dL以上もしくは脱水あり)、呼吸(SpO2[室内気] 90%以下)、見当識(意識障害あり)、血圧(収縮期血圧90mmHg以下)の5つを評価するもので、1つも該当しなければ軽症、1から2つ該当すれば中等症、3つ該当すれば重症、4から5つ該当すれば超重症で、ショックがあればその時点で超重症とするものです。
しかし、A-DROPで判断するともれる重症症例がある。重症化へ進む途中の患者です。そこで、A-DROPに加えて、敗血症をスクリーニングするための簡便な指標であるquick SOFA(qSOFA:呼吸数22回/分以上、精神状態の変化、収縮期血圧100mmHg以下の3点について、2点該当すれば集中治療が必要と判断する)を活用して敗血症の有無を評価してほしいという考え方を肺炎の重症度評価に盛り込んでいるのです。
──肺炎という特定の疾患というよりは、感染によって起こる臓器障害をどう治療するか、という考え方でしょうか。
朝野 感染症の重症型は敗血症であり、敗血症は単に抗菌薬を投与してればいいというわけではなく、臓器障害を評価し、集中治療、全身管理をする必要があり、多くの医療者が関わるものという考え方が大切です。また、全身管理ができる集中治療医をもっと育てていかなければいけません。その考え方を広めていくために日本集中治療学会はガイドライン作成を含めてさまざまな活動を進めていますが、これと歩調を合わせてるものだと思っています。肺炎診療は呼吸器内科医や感染症医が携わるのだけれど、重症であれば集中治療が必要であり、そのために体制を作ったり自ら学んでいく必要があるというメッセージを感じていただきたいと思っています。
――抗菌薬の選択の考え方については、新薬が登場していないこともあって、今まで通りの考え方で選べばいいということでよいでしょうか。
朝野 そうですね。ただ、HAPやNHCAPのところで、重症度が高かったり、耐性菌リスクがあるような場合はde-escalation治療ですが、重症度が高くなく、耐性菌リスクがない場合にはescalation治療を選ぶことを推奨しています。
de-escalation治療は、まず想定される原因菌をカバーする広域抗菌薬を選んだ後、原因菌が判明したら挟域/単剤による最善の治療に移行することを指します。一方escalation治療は、原因菌を想定して選んだ抗菌薬が有効でない場合により広域の抗菌薬を選ぶ治療を指します。
de-escalation治療の選択肢には副作用が強い薬剤が入ってきます。最初に広域抗菌薬を選ぶという治療は確かに全体的には予後を改善するとされますが、一方でその患者の予後が悪くなるというリスクがあります。治療によって腎機能が悪化するといった副作用が出てしまうことがあるのです。
そのため、escalation治療でも大丈夫だと考えられる患者さんであればescalation治療から始めるべき、治療によるリスクを減らすべきだという考え方を盛り込んでいます。まずは狭い抗菌薬で治療を開始し、経過が思わしくなければもう少しスペクトラムの広い抗菌薬に変えるという治療です。実際にはそれほど多くはないのかもしれませんが、そういう余裕がある患者さんであれば、「最初から腎機能を悪化させるといったリスクのある治療を選ばなくてもいいよね」「治療の副作用によるQOLや予後の悪化を防げる患者は防ごう」という考え方だと受け取っていただければと思います。
escalation治療という名称を付けてはいますが、軽症例ではペニシリン系抗菌薬から始めるという従来からの治療をescalationと呼ぶようにしただけです。HAPやNHCAPは予後が悪いから常に広域抗菌薬から、と考えてきたと思いますが、escalationという選択肢もあると考えてください。
ただし、escalation治療を行うときは注意深い観察が必要です。escalation治療にはある程度リスクが伴いますから。もちろんde-escalation治療も、先ほどお話ししたように臓器障害というリスクがありますから、こちらも注意が必要です。
──治療によって悪くしてしまう患者を作ってはいけないという考えが大切というわけですね。
朝野 そうです。加えて、抗菌薬は有限資源であって、むやみやたらに広域抗菌薬を使って耐性菌を生み出すような環境にしてはいけないと言うこと、そして分離菌と原因菌は異なることがあって診断的治療をしているのだから、菌が抑えられているかどうかあるいは患者の臓器が障害されていないかどうか、どちらか分からないけれど患者の様子をしっかり観察しましょう、という姿勢が大切ですと書き込んでいます。
例えば耐性菌が検出されたとしても、それが原因菌である可能性は少ないと言われています。呼吸器感染症の原因菌は分からないケースが多いので。MRSAが検出されても抗MRSA薬が不要な患者も少なくありません。また、MRSAが検出されたからバンコマイシンが必要とするならば臓器障害を覚悟しなければいけないケースもあると思います。まだ余裕がある患者、次の治療でレスキューできると考えられる患者、などを選び出しましょうという考え方です。
特に米国などでは、入院していること自体がリスクなのでHAP患者に対してはde-escalation治療を推奨しています。しかし日本と米国ではHAPの概念が異なります。米国でHAPといえば急性期疾患で入院している患者が発症した肺炎ですから、何より肺炎は治療すべき疾患です。一方、日本では長期間入院し、慢性疾患に対する治療をしていたりリハビリをしている患者もいます。患者層が異なるので、de-escalation治療を金科玉条のごとく扱う必要はないでしょう。
──患者の状態を把握したら、行う抗菌薬治療は従来と変わらないと考えていいでしょうか。
朝野 はい。フローチャートにしたがって患者を評価したら、抗菌薬の選択の考え方は従来と変わりません。
──繰り返しになりますが、HAPやNHCAP患者の場合にまず患者背景を考えるという点がガイドラインに盛り込まれたのは非常に新しい考え方ですね。
朝野 米国だと終末期、疾患末期、老衰の肺炎患者、いわばQOLを優先すべき肺炎患者は肺炎診療ガイドラインの対象になっていないのです。そうした患者の半分はもう病院には行かないと言っているので、ガイドラインを使いようがない。ガイドラインの外にいるわけです。
日本はそういう患者が外来を受診しますし、入院します。そういう患者がCAPですかHAPですかと言われても少し違う。QOLを優先すべき患者層を設定しなければいけないという思いがありました。
しかし、文字面はこう書いていますけれど、拙速に実施すべきではありません。今まで「最高の医療を提供する」ことだけを考えてきた医師の考え方を少しずつ変えていく必要がありますし、医師だけでなく患者や家族の様子を見ている看護師やソーシャルワーカーの方々も交えて判断するような組織作りが必要です。十分なインフォームドコンセントをした上で患者や家族への問いかけを行い、だんだんとコンセンサスが得られてきて初めて「治療しない」という選択肢が選べるのだと思います。
今後は終末期や老衰とはどんな状態なのか、本当に助からないのかということについてエビデンスを積み重ねていく必要がありますし、医療者の間でのコンセンサスも積み重ねていく必要があると思います。
ただ濃厚な治療を提供するだけが医療というわけではなくて、その人が望む終末期を迎えるための医療を提供する必要があります。「最善の医療」は言い換えれば「医療者にとって楽な治療」です。最善を尽くしたと説明できるわけですからね。でも、病院に来たらたくさんの管をつないでしまう医療ではよくない。昔、そうしてきてしまったからこその反省の上に立って考える必要があります。
論文を網羅的体系的に調べるシステマティックレビューを行い、こうした倫理観を大切にすることを否定するエビデンス、例えば倫理を重視しても患者のQOLは改善しないといったエビデンスがないかどうか、しっかりと調べましたが、それは存在しませんでした。つまり、厚労省が出した「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」を遵守することは合理的であるということです。
──なぜ日本のガイドラインではこうした選択肢を考えてこなかったのでしょうか。
朝野 日本のガイドラインは米国のガイドラインをまねてきたところがありますが、米国ではNHCAPのような肺炎患者の多くはもともとガイドラインの対象外になっていて、ガイドラインの対象となる患者は「しっかりと治療する」という考え方になっています。それをまねれば、日本のガイドラインでも「一生懸命治療しなければならない」という考え方になってしまいますが、日本と米国ではガイドラインの対象が違っています。日本のガイドラインに「治療しない」ことを考える選択肢が盛り込まれることは、日本独自の記述と言えるでしょう。
こうした海外と日本の違いを受けてまとめたのが、2011年の医療・介護関連肺炎(NHCAP)診療ガイドラインです。NHPAPという海外にはない肺炎のタイプを独自に定義し、こうした患者像に対する治療のあるべき姿を考えたわけですし、肺炎診療に関する医療者のマインドを切り替え始めました。今回、CAP、HAP、NHCAPの3つのガイドラインを統合した成人肺炎診療ガイドラインでも、海外のガイドラインにはない日本独自の考え方を盛り込んだということです。
──日本人の死因の第3位が肺炎と言われています。
朝野 3位といっても肺炎で亡くなっているのはほとんどが高齢者ですよね。たぶんその多くは老衰と言えるでしょう。NHCAPという概念を確立してからというもの、老衰と肺炎はどこが違うのだろうかと考え続けてきました。ある場合は死亡診断で老衰とし、一方で肺炎という診断名を付けているのが現状です。しかし、病態はほとんど一緒と言える場合も多いと思います。今は老衰という死亡診断を付けるケースが増えてきていると思います。あと数年で老衰が肺炎を抜くのではないでしょうか。現に女性では老衰が肺炎よりも多い死亡原因になっています。日本人のマインドが変わってきていると感じています。国民的な議論の契機となるでしょう。ですから、今回のガイドラインをきっかけに皆で議論できるようになり、老衰の医療を考えていけるようになればいいと期待しています。
<掲載元>
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