「積極的な治療は控える」と決めていたものの…|はちきんナースの「看護のダイヤを探そう!」
【日経メディカルAナーシング Pick up!】
久保田聰美(高知県立大学健康長寿センター特任教授)
今年3月14日、厚生労働省は「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」(関連記事)を発表しました。
終末期医療の在り方については、1987年に初めて検討会が開催されて以来、何度も検討会が開催されており、今回のガイドラインは、2007年に策定された「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」の改訂版です。
ガイドラインの改訂ポイントは、高齢多死社会の進展に伴い、いざという時に本人が自らの意思を伝えられない状態になる可能性を踏まえて、ACP(アドバンス・ケア・プランニング)を行うことの重要性を強調したこと、そして、介護現場や在宅での看取りが増えることを想定して、ガイドラインの名称に医療だけでなく「ケア」が加わったことだと言えます。
ACP(アドバンス・ケア・プランニング)の定義については、この検討会で幾つかの議論がありましたが、「人生の最終段階の医療・ケアについて、本人が家族等や医療・ケアチームと事前に繰り返し話し合うプロセス」とされ、本人の意思は変化し得るものであることを前提としています。
そして、たとえ本人が自らの意思を伝えられない状態になっても、可能な限り「本人にとっての最善の医療・ケアの方針」についての話し合いを繰り返すことが重要であると強調されているのです。
ただ、こうしたガイドラインが発表されるたびに筆者が危惧するのは、検討会で丁寧に重ねられた議論の流れが置き去りにされ、ガイドライン上の切り取られた文言や概念だけが独り歩きしてしまうことです。
実際、2018年度の診療報酬改定においては、同ガイドラインを活用して看取りのための体制を整備することに対して、新たな報酬が新設されています(関連記事)。
このガイドラインが、何のために策定されたのかを忘れないためにもまずは、現場で話し合う場をつくることが大切ではないでしょうか。
実際の医療・介護現場では、人生の最終段階の医療・ケアについて事前に話し合っていても、本人や家族の気持ちが最後まで揺れ動き、決められないケースが多々あります。
今回は、現場で起こりがちな具体的な事例をもとに、新ガイドラインがどのような意味を持つのか、考えてみたいと思います。
何もしないのは気が引ける娘に対し「十分長生きしただろ」と息子
鈴木一郎さん(仮名、84歳男性)は、10年前に脳梗塞を起こしてから、都内の特別養護老人ホームに入居しています。長男夫婦は千葉県在住、長女夫婦は埼玉県在住で、それぞれ数カ月に1度、孫を連れて見舞いにやってきます。
一郎さんは、毎年冬場になると誤嚥性肺炎を繰り返し、その度に入居しているホームの関連病院に入院していましたが、80歳を過ぎた頃から認知症の周辺症状が見られるようになり、入院するとその症状は余計にひどくなっていました。
そして昨年あたりからは、ついに息子の顔さえ分からなくなってしまいました。そうなると、長男やその家族は、ついつい見舞いの足も遠のきがちになります。
そんな折、一郎さんが高熱を出していると、施設から長男に連絡が入りました。
兄である長男から連絡を受けた長女が駆け付けると、施設の主治医は「とりあえず今は絶食にして、点滴と抗菌薬の投与で様子を見ているけれど、これ以上熱が続いた場合には、どこまでの医療を望むのかご家族の皆さんで話し合っておいてください」と言いました。
前回、1年前に一郎さんが病院に入院した時には、点滴を抜いたり、「帰りたい」と騒いで看護師さんに迷惑をかけたので、次は何かあっても入院しない方がいいかもしれないと、家族の間で話していました。
でもまだ先のことだと思っていた長女は、「このまま何もしないでいるのは気が引ける」という思いです。
ただ長男に電話で相談しても、「お見舞いに行ったって、どうせ俺のことも分からないんだしさ、親父も十分長生きしたからもういいだろう。それにそのことは前に十分話し合っただろう」と取り付く島もありません。
確かに、認知症が進行して周辺症状が目立つようになった2年前に「そろそろ最期の時のことを考えておいてください」と施設長から言われた時には、最期はできるだけ自然に逝かせてあげようと家族の間で話していました。
その時、施設の職員に延命治療に関する書類を渡されて、サインをした覚えもあります。それは、昔から一郎さんは点滴が嫌いだった上、脳梗塞で入院した時も同じ病室にいた胃瘻の人を見て、「あれだけは嫌だ」と言っていたからです。
それに一郎さんは、認知症が悪化する前から、「施設の介護スタッフの皆さんや看護師さんたちによくしてもらっているので、ここで最期を迎えたい」と言っていました。
「そうだった、そうだったんだ。これ以上、熱が続くようならば……」と長女が覚悟を決めた翌日、一郎さんの熱は下がり元気になりました。
「積極的な治療を控える」とはどうすることなのか?
一度は覚悟を決めた長女もほっと胸をなでおろした、その2カ月後のことです。「一郎さんが下血した」と施設から連絡が入りました。今度は、長男も飛んできました。いよいよ最期の時が来たと思ったのでしょうか。
面談室には、長男と長女、そしてそれぞれのお子さんが2人ずつ、計6人の家族が勢ぞろいしています。そこに主治医と担当看護師がやって来て、今回の経過について説明を始めました。一連の病状説明を終えた後、最初に質問したのは長男でした。
「施設でできることは何もないんですか?父は放っておかれるんですか?病院に行ったら元気になるんじゃないですか?」と強い口調で尋ねている様子を見て、長女は驚いています。
主治医は「確かに、病院に行けば、出血の原因を調べて、治療できる可能性がゼロではないのですが……」と言いながら、黙り込んでしまいました。
しばらく沈黙が続いた後、重い口を開いたのは、担当看護師でした。
「確かに……原因を調べることは可能ですが、そのための検査で痛い思いをすることも……。ですよね、先生」と医師に追加説明を求めたものの、主治医は「うん……」と頷いて、黙り込んでしまいました。
そこで看護師は「いつもの熱だと気持ちの準備ができていても、下血と聞くとねえ……」と言いながら、以前、延命治療について説明した時にサインしてもらった書類を出そうとした時でした。
ずっと黙っていた長女が重い口を開きました。
長女「そうなんです。びっくりしたんですよね……。父には何とかして助かるものなら助かってほしいし、ちょっとでも長生きしてほしい……。でもお兄ちゃん、父が嫌がることは止めようって決めたんだよね。病院で検査することになったらまたお父さん縛られるよね。お兄ちゃんはそれが一番嫌だって言っていて、この前、お父さんが熱が出たときはもう何もしなくていいって言っていたのに……」
長男「それはさあ、だって……」
長女「でも良かった。あの時は覚悟したけど、あの時そのまま何もしないでお父さんが亡くなったら後悔したかも」
長男「確かにな。すまん、そうでした。色々言ってすみません。親父がどうしたかったのか忘れるところでした」
主治医「私共も回復の可能性がある限りは最善の医療を尽くしたいとは考えていますし、それがご家族のご希望でしたら……」
長女「ありがとうございます。もう少し時間をもらってもいいですか。今すぐに決めないといけませんか?」
主治医「もちろん、ご家族でもう一度話し合っていただくことは大切です。ただ、今はまだ血圧も保っていますが、出血量によってどうなるかは分かりません。厳しい状況にあることはご理解ください」
こうして、一郎さんの家族は、積極的な医療を控えること、そして自然な死を望むということは、具体的に今の状況にどう対応していくべきなのかについて、もう一度話し合いました。
一方、施設内の医療、介護チームの中でももう一度、今後の方針について話し合いがなされました。
家族が答えを出せない中、息を引き取った父親
担当看護師は、これ以上の延命措置は一郎さんの望むことではないと主張し、「病院に行けばまた拘束されるのは目に見えている、かわいそうだ」と言います。介護スタッフも頷いています。
しかし医師は、「拘束するかしないかは、ケアの問題で、今の一郎さんの意識レベルだとその必要はないかもしれない。
僅かでも望みがあるのならば、医師としては最後まで治療を尽くしたいと思う」と話し、議論は平行線でした。ただ、家族の思いを尊重したいという意向だけは一致していました。
こうした話し合いをしている中で、一郎さんの血圧は徐々に低下し、翌日施設で家族に見守られながら、亡くなりました。
家族が悩み、答えを出すのをためらっている中での出来事だったため、施設のスタッフにとってはもやもやとした思いが残るお看取りとなりましたが、一郎さんはとても穏やかな表情をしていました。
今回のケースが私たちに教えてくれるものは何でしょうか?
忙しい現場では、家族の気持ちが揺らぐと「一度決めていたのに」と否定的にとらえがちです。今回のケースの場合も、もし、家族の揺れ動く複雑な思いを軽視していたら、一郎さんは家族の思いに反した最期を迎えていたかもしれません。
だからこそ、一事例、一事例、丁寧に向き合い、何度も話し合う場を持つことが大切なのではないでしょうか。
何よりも大切な患者さん自身の思いを尊重した上で、周囲のご家族、そしてケアや治療を担う専門職の思いとの折り合いを付けていくために、これからのナースには、不確かな状況に耐えていく力も求められているのです。
<掲載元>
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