「本当にこの人は老衰なのだろうか?」ーその人の最善の選択を考える在宅医療

 

みなさんは「在宅医療」にどのようなイメージを持っていますか?
「これ以上、治療の術がなく回復が期待できない患者さんの状態維持をする医療」「最期を家で過ごしたい高齢患者さんの看取りを行う医療」…。
どれも、正しいようで、違っています。

 

この連載では、在宅医療やそれに関連することについての話をしていけたらと思います。

 

 

「食べられないのは老衰だから」でいいのか?

80代後半、心不全の急性増悪で入退院を繰り返してきた男性患者Aさんの話をします。

 

Aさんは、今回の入院で食事が摂れなくなり、脱水も重なって腎不全も増悪となっていました。しかし、老衰によるもので回復は難しいとされ、尿道カテーテルが留置された状態で在宅での看取りを視野に退院となりました。

 

僕らは彼の最後の主治医としての任を引き受けることになったのです。

 

退院同日、彼の自宅を訪問しました。
「退院おめでとうございます」と声をかけるとにっこりと微笑み、「帰ってこられてほっとしました」と答えてくれました。

 

自宅に帰ってくれば少しは食欲も回復し、もしかすると食べてくれるのではないか―そんな淡い期待を抱いていましたが、Aさんは「食べたい」という言葉とは裏腹に、スプーン1〜2杯を口に運ぶとそれ以上は進まなくなってしまいます。
当初は口から食べられる範囲で、と考えていました。食べられないのは老衰のため、と考えればこのまま看取りになります。

 

しかし本当にこの人は老衰なのでしょうか?

 

入院中は、退院まで1日500mlの維持輸液が行われていましたが、心不全のコントロールのため、複数の利尿剤の服用も継続されていました。身体所見上は明らかな脱水。もちろん、これは老衰の所見としても矛盾はしませんが、本人も奥さんも少しでも良くなるよう期待しています。

 

そこで脱水として治療してみることにしました。

 

利尿剤の服用を中止し、1日1,000mlの細胞外液の輸液を開始。
4日目に訪問看護師から、結構食べているので輸液をスキップしても良いか、という相談の電話がありました。

 

1週間後の訪問で、おいしそうに和菓子をほおばる彼の姿がありました。 朝食は奥様と同じ量をしっかり食べられたとのこと。尿道カテーテルに接続された採尿バッグにはたっぷりの排尿が確認されました。

 

3回目の診療では、トイレまで歩いて行けるようになる、という目標を本人と共有しました。1日に1,500kcalが摂れるようになったらリハビリテーションを開始する予定です。

 

老衰の患者に点滴をすることは望ましくないかもしれません。しかし、「老衰だから」という思考停止が回復可能な状態をマスクしていることは少なくありません。

 

 

「高齢だから」ではなく、その人のポテンシャルを評価する

病院から看取りを前提に紹介されてくる高齢患者の中には、入院による医原性サルコペニアやせん妄などによる「偽性老衰」が紛れていることがあります。その割合は無視できないほど多いです。

 

これらの多くは「高齢だから」という理由で十分な水分・栄養の管理が行われなかったこと、入院による環境変化、治療や薬剤の影響などが関係しています。

 

しかし、その人を衰弱させている要因を取り除き、その人の生命力が最大限発揮できる環境を整えることができれば、その人は自然と生きる力を取り戻していきます

 

これはナイチンゲール思想に似ています(というよりも、そのものかもしれません)

 

Aさんは医療で命を延ばされたわけではありません。

 

自宅という心安らぐ場所に帰り、必要なケアが行われたことで、本来あるべき命を取り戻したのです。医療者が行ったのは薬物と脱水の影響を取り除いただけ。あとは、「元気になりたい」という本人の意欲によって息を吹き返したのです。

 

命を延ばすのではなく、早く終わらせるのでもなく。その人が与えられた寿命を最期まで納得して生き切れるよう支援するのが在宅医療の使命です。

 

回復の可能性があるならば回復を目指さなければならない、というわけではありません。大切なのは本人の意思です。しかし、回復可能性の有無は、その人や家族がそこから先の選択を考える上で非常に重要な要素です。「もう高齢だから」ではなく、他の患者には普通にやっているように、その人のポテンシャルをきちんと評価する努力はすべきです。

 

また、高齢患者の場合、入院中はそのポテンシャルがさまざまな要素によって過小評価されやすいものです。

 

自由を制限され、病気による精神的・身体的苦痛に加え、侵襲を伴う検査や処置が連続します。自己主張することは自身の不利益につながるかもしれません。さらに、コロナ禍では面会も制限され、孤独な戦いを強いられるのです。

 

少なくとも回復力が十分に発揮できる環境ではありません。

 

だからこそ、退院後の主治医としてのバトンを引き継いだ在宅医、そしてその人の療養生活を支える訪問看護師は、自宅というその人が最大限生命力を発揮できる環境で、その人の回復可能性を見落さないよう意識しなければならないのです。

 

人生の最期に寄り添い、伴走するのも在宅医療の大切な仕事です。

 

それがその人にとって本当に「最期」なのでしょうか。
最期でないとすれば回復を妨げているものは何なのでしょうか。
最期であるなら、どのようなケアが最善なのでしょうか。

 

本人の思い、周囲の思い、そして医学的適応とQOL。

 

私たちが共有すべき規範とは、老衰には点滴をしないということではなく、その人にとっての最善の選択を真摯に考え続ける、ということなのだと思います。

 

弱っていくのをただ見守るだけなら、医療はいりません。

 

執筆
sasakijun、佐々木淳

医療法人社団悠翔会 理事長・診療部長佐々木 淳

1973年京都市生まれ。手塚治虫のブラックジャックに感化され医師を志す。1998年筑波大学医学専門学群を卒業後、社会福祉法人三井記念病院に内科研修医として入職。消化器内科に進み、主に肝腫瘍のラジオ波焼灼療法などに関わる。2004年、東京大学大学院医学系研究科博士課程に進学。大学院在学中のアルバイトで在宅医療に出合う。「人は病気が治らなくても幸せに生きていける」という事実に衝撃を受け、在宅医療にのめり込む。2006年、大学院を退学し在宅療養支援診療所を開設。2008年、法人化。医療法人社団悠翔会・理事長に就任。2021年より 内閣府規制改革推進会議専門委員。
現在、首都圏ならびに愛知県(知多半島)、鹿児島県(与論町)、沖縄県(南風原町・石垣島)に全24拠点を展開。約8,000名の在宅患者さんへ24時間対応の在宅総合診療を行っている。

 

編集:林 美紀(看護roo!編集部)

 

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