透析が必要というだけで終末期なのではない|治療中止の提言やガイドラインが示していること

【日経メディカルAナーシング Pick up!】

加藤勇治=日経メディカル

 

疾患の終末期や救急や集中治療で予後が厳しい患者の診療方針の決定に参考になる提言やガイドラインの発表が各所から発表されている。

 

最も早く登場したのが2006年の日本集中治療医学会の「集中治療における重症患者の末期医療のあり方についての勧告」で、その後、厚生労働省や他の学会も続いた。

 

こうした提言を実際の診療現場でどう応用したらよいのだろうか。

 

救急や集中治療の現場に立ち、人工腎臓など医工学の研究経験も豊富で、日本透析医学会血液浄化に関する新技術検討小委員会の委員の一人でもある山梨大学救急集中治療医学講座教授の松田兼一氏に話を聞いた。

 

 


 

──近年、疾患終末期や外傷などで予後が厳しい救急・集中治療中の患者の治療方針の決定に参考になる提言やガイドラインが学会や厚生労働省から発表されている。

 

松田 日本集中治療医学会は2006年、当時の理事長だった平澤博之先生(現・千葉大学名誉教授)がリードして「集中治療における重症患者の末期医療のあり方についての勧告」を発表した。この勧告が国内では最初のものだと思う。その骨子は以下の3点だ。

 

 末期状態における治療の手控え並びに治療の終了は、原則として患者自身の意思に基づいて検討されるべきものである。

 その実施にあたっては医学的な妥当性と家族の同意が必須の要件である。

 その過程においては透明性を維持し、診療録に適正な方法で記載すべきである。

 

その後、2007年に厚生労働省が「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」がまとめられ、2007年に日本救急医学会は「救急医療における終末期医療に関する提言(ガイドライン)」を発表した。

 

前者は2018年に改定されて「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」となったし、後者は2014年に日本集中治療医学会、日本救急医学会、日本循環器学会の3学会合同による「救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン ~3 学会からの提言~」へと発展した。

 

日本透析医学会も2014年に「維持血液透析療法の開始と継続に関する意思決定プロセスについての提言」を発表している。

 

2017年には日本呼吸器学会が成人肺炎診療ガイドライン2017を発表したが、その中で繰り返す誤嚥性肺炎や疾患終末期に起こる肺炎に対して個人の意志やQOLを考慮した治療・ケアという選択肢を示している。

 

いずれも医療者側がチームでよく検討し、そして患者・家族にしっかりと説明し、合意形成を図ることが骨子となっている。

 

現場の救急・集中治療医は日々、患者に行っているのが救命医療なのか延命医療なのかを自問自答している。

 

救命治療なのか延命治療なのかの判断は人によって異なる。そのときの患者の状態を見る医師、看護師、家族、あるいは患者本人によっても違うだろう。

 

我々は、関係する全員が「もうこれは延命治療だ」と思うまで治療を続ける方針としている。

 

もちろん治療の内容などはしっかりと家族に説明するが、その上で例えば医師1人が「もうこれは延命治療だ」と言ったとしても、他の者が「まだ救命できる」と思うならば治療を続ける。実際にそれで救命できるケースも経験する。

 

仮に「まだ救命できる」と思っているのが医療者でなく家族であっても治療を続けるのだ。

 

医療者側が全員「もう延命治療になってしまっている」と思った段階で家族に「もう厳しい」と伝えるが、いきなり家族に伝えても家族は戸惑うばかりだ。だから、随時、家族とはコミュニケーションの機会を持つようにしている。

 

例えば、途中の段階で「半分ぐらいの医者が延命治療と思っているけれど、半分の医者は救命治療と思っています」と伝えるし、その後に「まだ救命すると思っているのは私ともう1人ぐらいの医師ぐらいですが、頑張ります」と言えば家族は「先生がそう仰るならもう少しお願いします」と言えるし、「さすがに私ももう無理かなと思います」と言えば、家族は「(患者は)延命治療を望まない人だったから、もう結構です」と言えるようになる。

 

こうしたプロセスを経れば、家族には精一杯頑張ったという気持ちが残るし、納得が得られるだろう。

 

患者の予後が厳しいとき、治療内容を十分に説明し、理解してもらうことはもちろんのこと、予後が厳しいことへの納得感は絶対に必要だ。

 

そのためにも最後の最後ではなく、早期からしっかりと医療者がどう思っているかを伝えるべきだし、この先どうなっていくか予測を話すことも大切だと思う。

 

一方、医療者が「まだ救命できる」と思っていても、家族の方が先に「もう延命治療ではないですか」と感じるときもあるだろう。

 

そのときは医学的にまだ可能性があること、助けられることを説明する。素人判断で「もう治療は不要」と思っているならば、精一杯説明し、考えを変えていく。

 

我々は医療のプロフェッショナルとして、正しい情報を伝え、理解してもらうよう最大限に努力すべきであるし、それは義務だ。

 

 

──2006年の勧告をはじめとして全てのガイドラインでは、患者や家族の考え方を尊重することが重視されている。患者や家族の考えを、医療者が変えることになるのではないか。

 

松田 患者や家族が意志決定する際、正確な情報を持っているかどうかがポイントだ。間違った情報や思い込みしか持たなければ、患者・家族は誤った結論を出してしまう。

 

正しい知識を全て話し、理解してもらった上で、「それでもいいです」と言うならば、それは患者・家族の判断であり、それが実行されるのは権利として守られるべきだろう。

 

患者や家族は、最後になって突然に厳しい予後を言われるから戸惑うのだ。概して医師はあまり先の予測を言いたがらない。

 

しかし、我々は早い段階に最高の結果が得られる場合と最悪の結果が得られる場合をしっかりと説明する。将来の予測を含めてしっかりと説明すべきだ。もちろん先の予測が難しい場合も多いだろう。だったらある程度幅を持たせた説明でいいのではないか。

 

そして患者や家族は常に揺れ動くものだと理解すべきだ。何度も話し合いをするべきだし、一度決めたことは絶対ではない。

 

 

──透析において、医学的にもうこれ以上難しいと考える状態はどんなときか。

 

松田 透析中に暴れてしまって鎮静や拘束が必要な場合、透析中は抗凝固薬投与が必要だが出血傾向がある場合、循環動態が不安定な場合などだろう。

 

ただし、週3回4時間という標準的な血液透析が難しくても、別の方法などを組み合わせたり、時間や回数などを工夫することで問題なく血液浄化できる。技術の進歩により、医学的にこれ以上透析が難しいというケースはかなり少なくなったと思う。

 

さらに今は、例えば自宅で毎日夜間に透析を行う新しい血液浄化法の検討が進んでいるし、装着型の人工腎臓の開発や再生医療の研究も進んでいる。合併症に対する薬剤は次々と新薬が登場しているし、この先も新しい薬剤が登場してくるだろう。

 

今や透析が必要というだけで終末期というのはおかしい時代が来つつある。透析治療と向き合っていけば生きていける。その治療をやめてしまったら死んでしまうのが終末期だが、治療さえしていれば生きていけるならば終末期と言うべきではない。

 

医学は常に進歩する。今一生懸命頑張っていれば、今日は不可能かもしれないが、明日には可能になるかもしれないのだから。

 

 

<掲載元>

日経メディカルAナーシング

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