ハンス・セリエの看護理論:ストレス適応理論(実践に生かす中範囲理論)

『新訂版 実践に生かす看護理論19 第2版』(サイオ出版)より転載。
今回はハンス・セリエの「ストレス適応理論」について解説します。

 

笠井恭子
福井県立大学看護福祉学部看護学科 教授

 

 

ストレスとは

日常的によく使われている「ストレス」という言葉は、元来、工学分野・物理学分野の用語である。

 

図1に示すように、水平に置かれた板に上から力を加えるとその板は下方に曲がり、ゆがみやひずみといった変形を起こす。

 

図1ストレスとストレイン

工学・物理学の分野のストレスとストレインを表した図版

 

板に加えられた力がストレスで、板の変形をストレインという。

 

このストレスという概念を医学分野に持ち込んだのがカナダの内分泌学者ハンス・セリエ(Hans H.B.Selye、1907~1982)である。

 

彼は有害作用によって引き起こされる、生体の変化・反応をストレス状態にあると考え、これらの状態を「ストレス(stress)」、このような状態をつくり出す有害作用を「ストレッサー(stressor)」とよんだ。

 

しかし、その後、ストレッサーという言葉はあまり普及せず、一般的には、人々に加えられる有害な因子・刺激がストレスとよばれている。

 

 

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歴史的背景

今から約90年前の1930年代、あらゆる病気の原因は病原体であると考えられていたこの時代に、セリエが肉体と心のストレスが身体の変調をもたらすという「ストレス学説」を提唱した。

 

セリエがストレス学説を提唱する以前には、フランスの生理学者クロード・ベルナール(Claude Bernard、1813~1878)が、生物体においても無生物と同様、現象の発現には主体と環境の2つの存在条件の結合が必要不可欠であるという主張に基づきさまざまな研究を行い、後の実験医学の基礎を築いた。

 

さらに、アメリカの生理学者キャノン(Walter Bradford Cannon、1871~1945)が、生体内の諸器官は外部環境の変化や運動・体位などの身体的な変化に応じて、体温や血液成分などの内部環境を一定の状態に保つ性質を恒常性(ホメオスタシス:homeostasis)と名付けた。

 

セリエはこの2人の学者から大きな影響を受け、実験医学的にストレスの研究を始めた。

 

1935年、セリエはカナダ、モントリオールのマックギル大学医学部のコリップ教授が主宰する生化学研究室の研究員として採用され、実験動物ラットに卵巣や胎盤の抽出液(エキス)ほか、さまざまな物質を注入しラットの体内にどのような変化が起こるのかを調べていた(図2)。

 

図2セリエの実験内容

出典:杉 春夫『ストレスとは何だろう-医学を革新した「ストレス学説」はいかにして誕生したか』講談社、2008を参考に作成

 

その結果、いずれの場合も①副腎皮質肥大、②リンパ組織萎縮、③十二指腸潰瘍という3つの同じ変化が起こることを発見した。

 

そこで、セリエは物質の注入だけでなく外傷、高温、低温、X線、拘束、過剰な運動負荷など、考え得るあらゆる刺激を与えてみた。するとやはり、同じ3つの変化が起こったのである。

 

この実験によりセリエは、「動物は有害な外的刺激を加えられたとき、その刺激が何であろうと同じように反応する」という大自然の摂理をとらえたのである。

 

1936年、セリエの「各種有害原因によって引き起こされた症候群」というタイトルの論文が「ネイチャー」誌に発表された。セリエが研究に着手してから約1年後のことであった。

 

セリエはラットを用いた実験結果と向き合いながら、ヒトの病気の原因が何であれ、発病初期によくみられる症状である①舌の荒れ、②発熱、③胃腸障害、④身体の痛みなどは同じしくみで発症するのではないかと考えていた。この発想がストレス学説の構築へとつながっていくのである。

 

1956年、セリエの仕事の集大成は、『The Stress of Life』という書物にまとめられた。

 

このように生理学的ストレス研究が進むなか、一方では心理学・社会学分野におけるストレス研究が盛んに行われていた。

 

1960年代には、トーマス・H.ホームズ(Thomas H.Holmes)とリチャード・H.レイ(Richard H.Rahe)による、ストレッサーの総量の評価方法に関する研究、1970年代には、リチャード・S.ラザルス(Richard S.Lazarus)によるストレス・コーピング理論に関する研究がその代表である。

 

 

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理論の概論と主な概念

ストレスを発見した天才科学者セリエの名を知る一般の人々はほとんどいなくなり、彼の提唱したストレス学説を正しく理解する者も極めて少ないといわれている。

 

セリエによると、生体は外部からの刺激によってゆがみや緊張を起こし、これらの刺激に適応しようとして非特異的な反応(①副腎皮質肥大、②リンパ組織萎縮、③胃・十二指腸潰瘍)を示す。

 

セリエはこのような状態にあることをストレスとよび、ストレスをつくり出す有害作用をストレッサーとよんだ。

 

セリエは、ストレッサーの種類に関係なく生じるこれら3つの非特異的症候群を「警告反応」と命名し、警告反応は警告反応期、抵抗期、疲憊(ひへい)期という一連の過程をたどることを明らかにした(図3)。

 

図3ストレスに対する生体の適応

ストレスに対する生体の適応を表した図版

 

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1警告反応期

警告反応期とは、ストレッサーに対する生体の防衛機構が働く時期のことである。

 

警告反応とは、有害作用を加えられた動物の有害作用に打ち勝とうとする努力の表れであり、動物は身体のすべての機構を総動員して抵抗するのである。

 

研究が進むにつれ、警告反応がどのようなしくみで起こるのかが明らかになってきた。図4に示すとおり、動物に有害作用が加えられると脳下垂体から副腎皮質刺激ホルモンが分泌される。

 

図4警告反応が起こるメカニズム

警告反応が起こるメカニズムを示した図版

出典:杉 春夫『ストレスとは何だろう-医学を革新した「ストレス学説」はいかにして誕生したか』講談社、2008.を参考に作成

 

血液の流れによって副腎皮質に達した副腎皮質刺激ホルモンはコルチコイドというホルモンを分泌させるため、副腎皮質に貯蔵されていたコルチコイドの顆粒はすべて放出される。

 

一方、コルチコイドは全身のリンパ組織に到達しリンパ組織を萎縮させてしまう。つまり、①副腎皮質肥大と②リンパ組織の萎縮は同時ではなく、①②の順に起こるのである。

 

胃・十二指腸潰瘍の発症は、有害作用が自律神経活動の失調をもたらし、胃・十二指腸からの粘液の分泌を減少させることが原因で起こる。

 

粘液の分泌が減少した胃や十二指腸は消化酵素の作用を強力に受けるため、胃壁・十二指腸壁の細胞が破壊され出血や潰瘍が生じる。

 

セリエの実験は、有害作用の量と警告反応の量はいずれも定量化が可能であった。有害作用の程度が強いほど、受ける時間が長いほど、警告反応は顕著に表れるという両者の相関も明らかにされた。

 

 

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2抵抗期

警告反応期の次は抵抗期に移行する。セリエは持続するストレッサーに対して生体の防衛機構がバランスを取り適応するこの時期を「抵抗期」という言葉で表した。

 

警告反応期にみられた3つの症状は数週間以上にわたり安定的に持続するが、有害作用が強烈であると動物は警告反応期に死亡するのである。

 

抵抗期のしくみについて説明する。コルチコイド顆粒を消失した副腎皮質細胞はこの時期、再びコルチコイド顆粒で満たされコルチコイドを分泌するようになる。

 

このコルチコイドは動物の体内に貯められている栄養素をブドウ糖に変化させる。

 

そして、ブドウ糖の燃焼により大量のATPがつくられ、有害作用に耐えうるエネルギーが供給される。

 

萎縮したリンパ組織は回復し、再びリンパ球を産生するようになるため抵抗力が回復する。

 

自律神経活動も回復し胃・十二指腸は再び粘液を分泌するため、胃壁・十二指腸壁の細胞は保護され胃・十二指腸潰瘍は消失する。

 

セリエはこの時期の動物は持続する有害作用に見合った抵抗力を発揮して有害作用に「適応」していると考えたのである。

 

 

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3疲憊(ひへい)期

セリエは、動物は有害作用が持続しても適応し続けるのではないかと考えた。

 

しかし、実験の結果はそうではなく有害作用にさらされ続けた動物は、ある一定期間耐えた後、突然死亡することが判明したのである。

 

セリエはこの時期を「疲憊(ひへい)期」とよんだ。体内の防御機構が破綻し、再び警告反応期と同じ症状を呈し最後は死を迎える時期である。

 

この疲憊期の発見により、先の抵抗期における適応は一時的なみせかけのものであることが判明した。

 

みせかけの適応の間、体内に供給された有害作用に抵抗するエネルギーを使い、懸命に耐え、エネルギーがなくなると死亡するのである。

 

疲憊期には副腎皮質は再びコルチコイドを分泌することがわかったが、これは動物の最後のあがきである。

 

セリエはこれら警告反応期、抵抗期、疲憊期の3つの期間をまとめて「全身適応症候群」と名づけた。

 

このようにセリエは、動物実験を通して有害作用に対する生体の反応や適応に至るメカニズムを解明し、生理学的ストレス研究に大きな影響を与えた。

 

一方、ヒトに対してはどうなのか。ヒトにこのような実験をすることは不可能であるため解明することは容易ではない。

 

しかし、さまざまな有害作用によって引き起こされるヒトの病気について、セリエの動物実験の知見をもとに解釈されるようになった。

 

たとえば、全身のさまざまな不調を訴えるが検査による客観的な異常や病変がみつからず、特定の診断がつかない患者に、先述した3つの症状が起こっていることが確認されるなどである。

 

 

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事例への応用

セリエのストレス学説を事例に応用して検討してみる。ここではセリエが提案したとおり、有害作用をストレッサーと表現する。

 

 

子育てと通勤のストレスで体調を崩した女性の事例

 

事例1

Aさん、32歳、女性。一般企業の事務職員で、夫(33歳)、長男(1歳)、義父(59歳)、義母(57歳)の5人家族である。

第1子の出産を期に知らない土地で義父母との同居生活、自宅から職場まで自家用車で片道約1時間の通勤という生活が始まった。

1年間の育児休暇後に復帰した職場の配属先は、それまでの人事事務から経理事務であった。

毎日の現金出納、伝票処理、帳簿作成など、仕事内容が大きく変更となり、お金のやりとりにかかわる業務だけにミスは許されず、とくに大きなお金が動くときや直接銀行に行ってお金の出し入れをするときは気が張り詰めた。

義父母はまだ仕事に就いていたため、長男を保育園に預けて仕事をしていたが、長男の急な発熱などで保育園から呼び出しがあると仕事を早退しなければならなかった。

職場復帰してから2か月が経ったある日の夜、Aさんは就寝中に突然胃の痛みに襲われた。腹部を温めながら様子をみたが翌朝になっても胃の痛みはおさまらず、体温は37.5℃、倦怠感も認めた。

上司に連絡をとると「疲れが出たのだろう」と言われしばらく休養することを勧められた。その日は一日、安静にして過ごした。3日間の有給休暇取得後には、胃痛や発熱はすっかり消失し出社することができた。

Aさんはこの出来事をきっかけに、この2か月間の働き方、生活の仕方、物事の考え方などを振り返り、改善できる点について家族間で話し合った。

 

Aさんの状況をセリエのストレス学説を用いて考えてみる。

 

図5に示すとおり、出産後のAさんには、仕事内容の変更により、慣れない仕事をミスなくこなさなければならないという精神的なプレッシャーがかかったうえ、遠距離通勤による身体的な疲労、見知らぬ土地での義父母との同居生活という生活環境の変化による精神的な疲労、初めての育児に対する不安や仕事と育児の両立の困難感からくる身体的・精神的疲労など、複数のストレッサーが同時に一定期間加え続けられた結果、ある日突然、胃の痛み、発熱、倦怠感という症状が発現したのである。

 

図5セリエのストレス学説を用いた事例の分析(Aさん)

セリエのストレス学説を用いた事例の分析(Aさん)

 

ヒトが何かしらのストレッサーを受けて生活していると、倦怠感、食欲不振、めまいなどの全身のさまざまな症状を発現させて、ストレッサーに抵抗していることを警告するのであり(警告反応期)、Aさんはまさにこの状況下にあったことがわかる。

 

Aさんの胃の痛みという症状は先述したセリエの警告反応のひとつ「胃・十二指腸潰瘍」発症のしくみから説明ができる。

 

警告反応期は、ヒトの身体の病原菌やウイルスなどに対する抵抗力が低下するため、身体の過度の活動を控え疾病を予防しなければならない。

 

したがって、この時期は休養が不可欠であり、仕事を休むなどして休養すれば、やがて症状は消失し元の元気な生活を送れるようになる。

 

Aさんは上司の勧めに従い無理をせず、有給休暇を取得し安静と休養に努めた結果、抵抗期、疲憊期へのプロセスをたどることなく、症状が消失し元の生活に戻ることができたのである。

 

何をストレッサーとして感じるかはヒトによって異なる。同じ出来事を「快」ととらえるヒトと、「不快」ととらえるヒトがいる。したがって、ストレッサーからの回避も各人がそれぞれの方法で行うことが望ましい。

 

Aさんは上司の勧めもあり休暇を取ることでストレッサーから回避できた。

 

しかし、実はこれでストレッサー自体が消失したわけではない。重要なのはAさんがこの出来事をきっかけに自分自身の生活を振り返って、考え方を変えたり家族と改善できることを話し合ったりしたことなのである。

 

つまり、これは大脳皮質と自律神経の連絡路を繋げてストレッサーが容易に自律神経系に伝わるのを遮断する行動なのである。

 

これによりストレッサーが加わったときでもそれをストレッサーと感じない鈍さをつくり、抵抗期、疲憊期へと移行することを予防してくれるのである。

 

 

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子どもの独立後、自律神経失調症となった女性の事例

 

事例2

Bさん、53歳、女性。スーパーマーケットのレジチェッカー部門で働いている。長女は2年前に嫁ぎ、長男は今春就職し、親元を離れて一人暮らしをしている。現在、夫(55歳)と二人暮らし。

Bさんは長男が独立してから心にぽっかり穴が空いたような感じになりなんとなく体調がすぐれない日々を送っていた。しばらくすると、倦怠感、動悸、食欲不振、便秘、肩こり、頭痛などの症状が出現してきた。近くのクリニックを受診し種々の検査を受けたが異常はみつからず、整腸剤や鎮痛薬が処方された。

また、一日のうちでも訴える症状がころころ変わるため、夫や職場の人には「わがまま」と思われていた。Bさんは徐々に「眠れない」「死にたい」と訴えるようになり、カウンセリングを受けたところ自律神経失調症と診断された。2週間に1回のカウンセリングを受けるうち、食欲がわくようになり不眠も解消されるようになった。

 

Bさんの状況をセリエのストレス学説を用いて考えてみる(図6)。

 

図6セリエのストレス学説を用いた事例の分析(Bさん)

セリエのストレス学説を用いた事例の分析(Bさん)

 

Bさんは母親、妻としての役割を担いながら仕事との両立をはかってきたが、子どもの独立というライフイベントによりこれまでの役割に変更が生じ、これが空虚感となってBさんのストレッサーになったと考えられる。

 

そして、警告反応として倦怠感、動悸などの種々の症状が出現したのである。

 

さらに、周囲の無理解や不十分な治療というストレッサーが加わり、Bさんは持続するストレッサーに抵抗力を発揮し適応しようとした結果、「不眠」や「生きる意欲の喪失」というさらなる症状が出現したと考えられる。

 

しかし、この「抵抗期」にカウンセリングという適切なケア、治療を受けたことにより、「疲憊期」には移行せず、うつ病の発症や自殺の危険性は免れたと考えられる。

 

 

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おわりに

以上のAさん、Bさんの事例分析から、ヒトがストレッサーを加え続けられた場合、どのような生体反応が起こりそしてどのような経過をたどるのかをセリエのストレス学説に基づきアセスメントすることにより、早期に指導などの適切な介入ができると考えられる。

 

 

引用・参考文献閉じる
  • 1)ハンス・セリエ著、田多井吉之介訳:適應症候群、医歯薬出版、1953
  • 2)ハンス・セリエ著、田多井吉之介訳:夢から発見へ、丸善、1969
  • 3)Hans Selye:Stress Without Distress,J.B.Lippincott Company,1974
  • 4)ハンス・セリエ著、杉靖三郎・田多井吉之介他訳:現代社会とストレス、法政大学出版局,1988
  • 5)Hans Selye:A syndrome produced by diverse nocuous agents,Journal of Neuropsychiatry,10(2):230~231,1998
  • 6)杉 春夫:ストレスとは何だろう-医学を革新した「ストレス学説」はいかにして誕生したか、講談社、2008
  • 7)W.B.キャノン著、舘 鄰・舘 澄江訳:からだの知恵、講談社、1981
  • 8)クロード・ベルナール著、三浦岱栄訳:実験医学序説、改訳版、岩波書店、1970

 

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本連載は株式会社サイオ出版の提供により掲載しています。

 

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[出典] 『新訂版 実践に生かす看護理論19 第2版』 編著/城ヶ端初子/2018年11月刊行/ サイオ出版

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