「認知症の診断=絶望」としないために|インタビュー◎これまでの生活を続けられるような自立支援を

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若年性アルツハイマー病当事者の丹野智文氏に聞く

39歳のときに若年性アルツハイマー病と診断された丹野氏は、現在、認知症当事者として、認知症への誤解払拭のため積極的に活動している。そんな丹野氏に、告知の在り方、認知症当事者が必要とする支援、認知症と診断された場合に運転免許更新を認めない「改正道路交通法」などについて思うことを聞いた(文中敬称略)。

 

小板橋律子=日経メディカル

 

丹野智文氏

認知症当事者のためのもの忘れ総合相談窓口「おれんじドア」代表の丹野智文氏。認知症の人と家族の会会員。

 

――認知症の当事者として、告知の在り方についてのお考えをお聞かせください。

 

丹野 認知症は進行性の病気です。治らない病気といわれてしまえば、絶望するだけです。ですから告知の際は、診断名を告げるだけでなく、診断された後、どう生きていくことができるのかも一緒に話してほしいと思っています。それが分かれば、認知症と診断されても絶望せず生活できると思うのです。

 

4年前の39歳のときに私は若年性アルツハイマーと診断されましたが、仕事を続け、父親として家族を支えています。もの忘れもありますが、失敗があっても笑顔で生活できています。そんな当事者が存在するというだけで、希望を持つことができます。こんな当事者がいる、当事者同士をつなぐ活動や団体があるということを、診断時に伝えてほしいのです。

 

現在、認知症には薬を出して、支援が必要なら介護保険を紹介して――、という対応が主流だと思います。認知症といえば、介護が必要な重度のイメージが強く、そのような重度の状態をどう支えるかばかりが議論されているように思います。

 

しかし、認知症は経過が長い疾患です。早期に診断された場合、もの忘れがあったとしても、その部分だけ周囲にサポートしてもらえれば、仕事を続けたり余暇を楽しんだりと診断前と同じ生活を続けられます。

 

重度になる前の当事者にとって一番大切なのは、それまでの生活を維持することです。認知症と診断しても、その人がこれまで生きてきた環境を壊さないよう努めてほしいのです。いままで普通に生活していたのが、認知症という診断名がついただけで、何もできない人と決めつけられる。仕事も辞めさせられる。「あぶないからやらないで」「出掛けないで」とできることを奪われ、保護の対象とされる。これは大きなストレスです。施設に行け、介護を受けろと言われたら、落ち込みます。うつ病になってしまうのです。

 

――「改正道路交通法」により、認知症と診断されただけで、運転免許証を更新できなくなりますが、そのことについてはどうお考えですか。

 

丹野 認知症の診断があったら、100%免許の更新はできないというのは、とても厳しい制度です。本来であれば、認知症だから一律ダメというのではなく、実地試験で運転技能を見てほしいと思います。

 

仕事を続ける上で車の運転が不可欠な人がいます。また、生活のための買い物に車が必要な人もいます。免許の更新ができないというのであれば、代替となる新しい公共システムをつくるべきです。車での移動が必要なときに何らかの移動手段を提供してもらえないと、我々は困ってしまいます。

 

また、認知症の診断も、より慎重に下す必要があるでしょう。診断され免許を更新できなくなったにもかかわらず、半年後に「違う病気でした」となっても、運転免許証を取り直すのはとてもたいへんです。お金も時間もかかりますので。

 

――ところで丹野さんは、どのような経緯で診断されたのですか

 

丹野 私は車の営業をしていたのですが、今から4年前、38歳のとき、お客さんの顔を忘れることが多くなりました。自分ではストレスによるものかと思っていたのですが、同僚の顔と名前を忘れてしまうようになり、神経外科を受診しました。その脳神経外科で、すぐに大きな病院のもの忘れ外来に行くよういわれました。もの忘れ外来での検査入院の結果、若年性アルツハイマー病だと思うが、30歳代の若年者を診断したことがないということで、さらに大学病院を紹介されました。大学病院でも、検査のため1カ月ほど入院し、入院中にアルツハイマー病と告げられた。39歳のときでした。

 

実は、34~35歳ごろから自分でももの忘れを自覚していたようです。その頃から、忘れてしまうのでノートを取るようになったのですが、そのノートを見返してみると、最初のうちは、例えば、「佐藤さん、TEL」とメモしてありました。それだけのメモで思い出せたのです。しかしその後、徐々に、「◇◇の佐藤さんに、○○のためにTEL」とメモするようになりました。もの忘れが進んでいたようです。でも、病気だとは思いませんでした。 

 

――アルツハイマー病という診断は、どのように医師から説明されたのですか。

 

丹野 私と妻の2人で、先生から話を聞きました。脳の画像検査所見を見せてもらいながら説明を受けたようです。また、進行を遅らせる薬を飲むという説明を受け、薬の副作用をみるため、追加で2週間入院しました。ただし、その後の経過がどうなるかや、何らかのサポート団体があるなどの説明は受けませんでした。

 

病気のことがよく分からなかったので、不安で眠れない夜などに、携帯電話でいろいろと調べました。検索すると、何一つ前向きになれる情報は出てこなくて、「若年性認知症は進行が早い」「2年で寝たきり、10年で死亡」などの検索結果に打ちのめされました。

 

先生に、寝たきりになってしまうのかと聞いたところ、「今すぐではないが、寝たきりになる可能性がある」と回答され、それが、携帯で読んだ、2年で寝たきりという言葉と重なってしまい、とても落ち込みましたね。

 

今思えば、医師もどう説明したらいいのか分からなかったのだと思います。人により進行のスピードは異なりますから。

 

――前向きになれたのは、何かきっかけがあったのですか。

 

丹野 もしかしたら治せる病院があるのではないかと思い、さらに、いろいろ調べていたところ、「認知症の人と家族の会」のサイトを見つけました。自分が寝たきりになった際、妻が相談できるところがあるといいと思い、連絡を取りました。その後、家族の会を介して、富山で開催された当事者交流会に参加しました。

 

そこで、診断から6年経っているものの、笑顔でやさしい認知症の当事者に出会いました。そのとき、認知症と診断されても、元気でこうやって生活できるんだと思うことができました。その人のようになりたいと。たった1人ですが、元気に過ごしている当事者に会えたことで、気の持ち方が大きく変わりました。

 

――お仕事も続けられているのですね。

 

丹野 診断当時、子どもは小学生と中学生。仕事ができないと親としての責任を果たせないと思いました。でも、当時担当していた営業の仕事は、お客さんの顔を覚えられないので続けられません。代わりに事務や採用の部署に移動させてもらいました。会社が理解してくれて、私ができる仕事を担当させてくれたので続けることができました。私も、病気になったことを認めて、できないことは諦めて無理をせず、できることを頑張るしかないと思っています。

 

認知症の症状は人それぞれで異なります。ですから、当事者自身、自分には何ができて、何ができないかを周囲に説明する必要があると思います。できない仕事については、別の仕事をやらせてほしいときちんと言うべきです。できないことを隠すから怒られて、落ち込んでしまう。

 

認知症当事者は忘れてしまうことに不安を感じている

 

「認知症になると、何も分からないからいいよね」という人がいます、それは大きな誤解です。我々は忘れてしまうことに大きな不安を感じています。この不安を認知症ではない人に説明するのは難しいですね。

 

診断後1年間ほど、不安が強くて調子が悪かったのですが、今は、不安は少なく調子が良いです。とはいえ、今日も、会社で何をしようと思っていたかを忘れてしまいました。伝票について先輩に聞こうと思っていたのに、その先輩の名前を忘れてしまったのです。そのときは、素知らぬ顔をして自分の席に戻り、社員表を見て顔と名前を再確認してから、声をかけ直しました。

 

普通の人が失敗しないようなことで失敗してしまうので、「なんで自分が……」と思ってしまうことももちろんありますが、できないことは受け入れて、できることを楽しんで生活しようと思っています。

 

<掲載元>

日経メディカルAナーシング

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