聴覚と嗅覚のメカニズム――耳と鼻|感じる・考える(4)
解剖生理が苦手なナースのための解説書『解剖生理をおもしろく学ぶ』より
今回は、神経系についてのお話の4回目です。
[前回の内容]
解剖生理学の面白さを知るため、視覚(眼)のメカニズムについて知りました。
今回は、聴覚(耳)と嗅覚(鼻)のメカニズムの世界を探検することに……。
増田敦子
了徳寺大学医学教育センター教授
聴覚のメカニズムを知る──耳
さて、脳の構造もわかったところで、次は聴覚のメカニズムを見て行きましょう。ところで、耳ってどこからどこまでを指すか、知っているかな
うーん、いわれてみると、謎ですね
それもそのはずね。外から見える部分は耳のほんの一部。本当はもっとずっと、奥深いのよ
耳は大きく、外耳、中耳、内耳の3つに分けられます。このうち、外耳と中耳は聴覚のみ、内耳は聴覚と平衡覚の両方に関係しています。
外耳とはいわば耳たぶ(耳介〈じかい〉)から鼓膜(こまく)までをいいます。耳介は軟骨によって形づくられています(図1)。
図1耳の構造
いわゆる「耳の穴」とは、外耳孔から鼓膜にいたる道のこと。解剖学ではこれを、外耳道とよんでいます。
外耳道の長さはだいたい2~3cm。けっこう短いのですが、S状に曲がっているため、なかなか奥までは見えません。外耳道にはアポクリン汗腺という特殊な汗腺があり、タンパク質や脂肪分の多い分泌物を出しています。この分泌物が、いわゆる「耳垢(あか)」になります。
外耳道のほかにアポクリン汗腺があるのは腋窩、つまりワキの下です
よく、耳垢がねっとりしている人は腋臭が強いといいますが、それもこの汗腺と関係があるんですか?
アポクリン汗腺が発達していると、タンパク質や脂肪分の多い汗が出て、耳垢がやわらかく、ねっとりします。外耳道のアポクリン汗腺が発達している人は、腋窩のアポクリン汗腺も発達していることが多いので、腋臭も強くなるらしいの
空気の振動を水の振動に──外耳、中耳、内耳
私たちが耳にする音の正体は、「空気の振動」です。外耳道を通って伝わった空気の振動は、直径8~9mmほどの鼓膜を揺らします。
鼓膜の内側には、中耳とよばれる空間が広がっています。この空間は、鼓室ともよばれ、内部にはなんと、空気が入っています(図2)。
図2内耳の構造
鼓膜を揺らした空気の振動は、ツチ骨、キヌタ骨、アブミ骨とよばれる小さな骨を伝って、さらに奥の内耳へと伝わります(これら3つの耳小骨は、からだを構成している骨のなかで最も小さい骨として知られます)。
内耳は骨迷路と膜迷路とよばれる複雑な構造になっていて、それぞれの内部はリンパ液で満たされています。外耳から伝わってきた空気の振動は、ここで水(リンパ液)の振動に変わります(図2)。
それにしても、耳の中ってけっこう複雑にできているんですね
そうね。内耳にあるツチ骨、キヌタ骨、アブミ骨なんか、それぞれユニークな形をしているわよね
それにしても、不思議ですね。どうして中耳には空気が詰まっているんだろう? 最初からここをリンパ液で満たしておけば、もっと早く振動が伝わると思うんだけど
ところが、そうじゃないの。空気の密度と水の密度はあまりにも違います。だから、空気の振動を直接水に伝えようとすると、ほとんどが水面ではね返されてしまって、うまく伝わらないのよ
そうか。だからわざわざ、骨を介して内耳のリンパ液を揺らす仕組みをつくっているんだ
そういうこと
内耳にある感覚細胞
内耳の構造は、蝸牛(かぎゅう)、前庭、半規管からなります。聴覚に関係するのはこのうち蝸牛だけです。
外耳道から中耳、そしてリンパ液を伝った音の振動は、蝸牛内部のコルチ器とよばれる部分に到達します。コルチ器には、有毛細胞とよばれる感覚細胞があり、リンパ液に伝わった振動は、基底膜を揺らすことで、この有毛細胞を興奮させます(図3)。
「水の振動」というアナログな信号はここでデジタルな電気信号に置き換えられ、蝸牛神経を伝って中枢へと送られます。
図3音の伝導(蝸牛を伸ばした状態)
平衡覚のメカニズムを知る──半規管と前庭
内耳のうち、聴覚に関係しているのは蝸牛だけっていいましたけど、どういうことですか?
前庭と半規管は聴覚ではなくて、平衡覚に深く関係しているの
身体の微妙な動きを感知して、体位やバランスをとるための感覚ですね
そうよ
それがどうして、耳にあるんだろう?
頭の回転を感知する半規管
視覚についての説明で、眼球は頭の動きとは反対のほうに動くことで視界がブレないようにしている、とお話しました。実はこの調節機構、耳にある半規管との連携によって行われています。
半規管は、3本の細い管がループをつくったような形をしていて、内部にはリンパ液が詰まっています。感知するのはおもに頭の回転運動で、頭が回転すると、膨大部稜とよばれる部分にある有毛細胞が揺れて、神経を興奮させます。
半規管から神経を伝って情報を受け取った脳は、頭の動きとは反対の方向へ眼球を動かすよう指令を出し、視界がブレないように調節します。
ダンスでくるくると回転したり、荒波に船が揺られているときでも平衡覚を保っていられるのは、この半規管のおかげです。
くるくると回転した後、急に止まると眼がまわりますよね? あれも半規管が関係しているんですか?
そうよ。半規管の有毛細胞を揺らすのはリンパ液でしょ。だから、頭の回転が止まっても、慣性の法則でリンパ液の流れは急に止まることができず、しばらくは有毛細胞を揺らすの。すると、脳は頭がまだ回転していると勘違いして、眼球の向きを変えようとするのよ
まさに、眼がまわるわけですね
頭の傾きを感知する前庭
前庭を構成しているのは、球形嚢(のう)と卵形嚢という2つの袋です。それぞれにやはり、有毛細胞を備えています。
前庭の有毛細胞は、上部をゼラチン様基質で固められ、そのまた上には耳石(平衡石)とよばれるカルシウム塩でできた石を乗せています。頭が傾くと、石も重力の方向に傾き、有毛細胞もそれに合わせて揺れる構造です。
動き出したり止まったりといった運動(速度)の変化は、この前庭にある有毛細胞が感知し、電気信号に変えて脳へと送ります。
聴覚も平衡覚も、最終的には有毛細胞が感知して、脳へと伝えているんですね
そうなの。違うのは、それをどうやって揺らすかという仕組みだけなのよ
嗅覚のメカニズムを知る──鼻
鼻は呼吸器でもありますが、同時ににおいを感じる感覚器としての機能も兼ね備えています。
鼻から入った空気の通り道はすぐに3つに分かれます。それぞれ、上鼻甲介、中鼻甲介、下鼻甲介とよばれています。においを感知するのはこのうち、上鼻甲介のちょうど天井にあたる部分です。ここには、嗅(きゅう)細胞とよばれる感覚細胞があり、特殊な粘液を分泌するボウマン腺も備わっています(図4)
図4鼻腔の内部構造
特殊感覚のなかでも、嗅細胞はちょっと変わったメカニズムをもっています
どう変わっているんですか?
視覚や聴覚では、感覚細胞のまわりに脳に伝わる神経が伸びていて、感覚細胞はその神経に信号を伝えればよかったわよね。でも、嗅細胞は、自分自身が脳に向かって直接、神経線維を伸ばしているの
どうして、そんなことができるんですか?
鼻と脳は距離的にも近いし、実は小さな隙間でつながっているからよ
微細な粒子を感知する嗅毛
嗅細胞がある鼻腔の天井には、たくさんの小さな隙間が存在しています。嗅細胞から伸びた神経は、この隙間を通って脳の神経細胞へ信号を伝えています。
嗅細胞は、粘液に向かってたくさんの嗅毛を伸ばし、においのもとになる微細な粒子が通り抜けると、それをすかさず感知します。嗅細胞の感度は実に素晴らしく、わずか数モルの化学物質にも反応します。嗅細胞が受けた刺激は、嗅細胞自身の神経を伝って、脳へと送られます。
コラム疲れやすい嗅覚(表1)
病室に入ったとき、ポータブルトイレから強い汚物のにおいがするにもかかわらず、長時間そこにいる患者は平気でいることがあります。その患者は汚物のにおいに気づかないのではなく、慣れてしまっているだけ。においに気づいたら、さりげなく汚物を片づけてください。
このように、感覚には総じて慣れるという性質があります。慣れることを順応といい、とくに嗅覚は他の感覚と比べると順応しやすい特徴をもっています。ということは、いい換えれば「疲れやすい」ということです。
順応は、心地よいにおいにも起こります。花の香りや真新しい畳の香りなども、しばらくすると感じなくなります。嗅覚は順応しやすい一方で、非常に鋭敏な受容器でもあります。わずかな化学物質にも反応するため、自分の香水には鈍感なのに他人の香水には敏感に反応します。
順応しやすいのは嗅覚の弱点ですが、もしも嗅覚が順応しなかったら……と考えてみましょう。先の病室の患者が不快なにおいを感じ続けたらきっと、イライラしてしまいます。だとすれば、順応することで人は不快感から解放され、助けられているといえるのかもしれません。
また、順応の程度は感覚器によって違います。嗅覚や味覚の順応は早いのですが、痛覚はほとんど順応しません。この事実は、痛覚が人間が生きていくうえでとても大切な感覚の1つであることを如実に物語っています。
表1生活臭と化学物質
[次回]
本記事は株式会社サイオ出版の提供により掲載しています。
[出典] 『解剖生理をおもしろく学ぶ 』 (編著)増田敦子/2015年1月刊行/ サイオ出版