ローズマリー・リゾ・パースイの看護理論:人間生成理論

『新訂版 実践に生かす看護理論19 第2版』(サイオ出版)より転載。
今回はパースイの看護理論「人間生成理論」について解説します。

 

日隈ふみ子
佛教大学保健医療技術学部看護学科 元教授

 

 

 

Point
  • パースイは統一体としての人間の科学と実存主義的現象学をもとに人間生成理論を提唱した人である。
  • パースイの看護理論は人間科学に基づく理論である。
  • パースイの看護理論の重要概念は、人間と健康である。
  • 看護実践の目標は、個人の生きられた体験とそのなかでの個人の選択を尊重し、生命・生活の質を高めることである。
  • 看護師の役割とは、その人のために何かをするということではなく、真にともにあることである。

 

 

パースイの看護理論

パースイは、人間科学に基づく看護理論をマーサ・E.ロジャーズ(Martha E.Rogers)の「統一体としての人間の科学」と「実存主義的現象学」の考え方や概念をもとに、独自に開発した。

 

ここで用いられる用語や理論構造の関連は図1図2のとおりである。

 

図1人間生成理論の存在論

出典:ローズマリー・リゾ・パースィ、高橋照子監訳:パースィ看護理論─人間生成の現象学的探究、医学書院、2004より改変

 

図2人間生成理論の存在論

出典:ローズマリー・リゾ・パースィ、高橋照子監訳:パースィ看護理論─人間生成の現象学的探究、医学書院、2004より改変

 

なおパースイ看護理論は、1991年の「Man-Living-Health」(健康を−生きる−人間)から1998年の「The;Human Becoming」(人間生成)に変更されている。

 

 

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人間生成理論の重要な基盤① ─ 統一体としての人間の科学

「統一体としての人間の科学」には、変化の性質を示す「らせん運動性」、変化の方向性を示す「共鳴性」、変化の継続性を示す「統合性」という、3つの原理がある。

 

そして、統一体としての人間は、変化に対応できるものであり、「エネルギーの場」「開放性」「パターン」「汎次元性」という命題に関連づけられている。

 

 

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人間生成理論の重要な基盤② ─ 実存的現象学

「実存主義的現象学」には、「志向性」と「人間の主体性」の2つの理念がある。

 

人間は本来、志向的な存在であり、人間は価値をもって生きることを選択し、世界と関与している主体的な存在であるということを意味する。

 

そして、この2つの理念には、「相互構成」「共存」「状況づけられた自由」という実存主義的現象学の概念が含まれている。

 

「相互構成」とは、人間は天地万物とともに相互に創造されるということを意味する。

 

「共存」とは、人間が先輩たち、同時代の人たち、後輩たちと一緒に進化することを指す。

 

そして、「状況づけられた自由」とは、人間は反省的にも前反省的にも状況の選択や状況とともに存在するあり方に参加しているということを意味している。

 

このように、「統一体としての人間の科学」の原理と「実存主義的現象学」の概念とを組み合わせて導き出された人間生成論において、統一体としての人間とは、天地万物とともに関与して生成するものであり、分割は不可能なのである。

 

さらに、人間とは全体的(whole)に開かれており、絶えず変化し健康を生きる方法を自由に選択する存在であるとパースイはいう。

 

 

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人間生成理論の存在論の3つの哲学的前提

人間生成理論は、存在論、認識論、方法論からなっている。

 

存在論は、先の重要な基盤から哲学的前提を導き出している。これは、これまでの9つ(図1)から以下の3つにまとめられた。

 

図1人間生成理論の存在論(再掲)

出典:ローズマリー・リゾ・パースィ、高橋照子監訳:パースィ看護理論─人間生成の現象学的探究、医学書院、2004より改変

 

  1. 1生きる価値の決定という相互主体的な過程で、個人的な意味を状況のなかで自由に選択すること
  2. 2天地万物の相互過程でリズミカルな関係づくりのパターンをともに創造すること
  3. 3可能性をもって多次元的にともに超越すること

 

 

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人間生成理論の3つの主題と逆説性

人間生成理論の3つの主題は、「意味」「リズム性」「ともに超越すること」である。

 

 

1意味

「意味」とは、多次元的に意味を構成することで、「イメージすること」「価値づけること」「言語化すること」の3つからなる。

 

  • イメージすること:明瞭−暗黙的なことを一挙に反省的−前反省的に知るようになること
  • 価値づけること:個人の世界観に基づいて育んできた信念を確認−非確認すること
  • 言語化すること:話すこと−沈黙すること、動くこと−とどまること、をとおして価値づけられたイメージを表明すること

 

 

2リズム性

「リズム性」とは、リズミカルなパターンをともに創造することで、「明示的−隠蔽的」「促進的−限定的」「結合的−分離的」の3つからなる。

 

  • 明示的−隠蔽的:明らかにすることと隠すことを同時に行うこと。すなわち、それぞれの人間は、言うことと言わないことというように、いろいろなことを一挙に行うこと
  • 促進的−限定的:すべての選択をするときに一挙に存在している機会─制約を生きること
  • 結合的−分離的:他者の考え、目的や状況がすべて同時に存在しつつ離れているということ

 

 

3ともに超越すること

「ともに超越すること」とは、変化の過程に独創的な方法を生じさせる力を与えることで、「力を与えること」「創生すること」「変容すること」の3つからなる。

 

  • 力を与えること:非存在に照らして存在意識を是認−非是認する過程を推進し、抑制すること
  • 創生すること:生きることを確信−非確信するなかで、調和−不調和という新たな方法を工夫すること
  • 変容すること:親しみのあること−親しみのないことについての見解を変えることであり、慎重に新しいことをともに構成するなかで変化する、その変化のこと

 

 

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人間生成理論の存在論の3つの原理

人間生成理論の存在論における原理は、重要な基盤、哲学的前提、主題をもとに、次の3つが導き出された。

 

原理を理解するために、パースイ自身が著書(2004)で示した具体例の要約をともにあげる。

 

《原理1》

多次元的に意味を構成するとは、価値づけたことやイメージしたことを言語化することによって、現実をともに構成することである(2004)。

 

この原理は、人間はさまざまな宇宙レベルで生きており、話したり行動することによって何が可能なのかという、これまでに育まれてきた見解を言語化しながら、個人の現実を構成していることを明らかにしている。

 

若いカップルが新しく家庭をつくろうと決心した。
まず2人は、どのような家庭を築くかをイメージする。1つはそれぞれの家庭を統合するというものがある。しかし、それぞれの家庭の伝統や価値観はあまりにも違いすぎていた。
そこで、それぞれの家庭の価値のいくつかは共有しつつ、別の方法を自分たちでイメージし(多次元的に意味を構成)、結婚通知や指輪の交換、一緒に住むなどの象徴によって、互いがイメージした価値を具体化しながら言語化した。互いに価値づけ、尊重し合い、新たな選択に基づいて行動する(現実とともに構成する)ことになった。

 

《原理2》

リズミカルな関係づくりのパターンをともに創造するとは、結合的−分離的である。一方、明示的−隠蔽的、促進的−限定的な、逆説的統一性を生きることである(2004)。

 

この原理は、リズミカルなパターンはある方向で行動している間は、ほかの現象から離れているという機会と限界を選択しながら、表明的−非表明的に明らかになる対立を生きるなかに存在しているということを明らかにしている。

 

そして、リズミカルな関係づくりのパターンは、日常生活のなかに表れている。

 

ある家族の全員が週2回夕方にジョギングすることを決めた。これは家族の結合を促すことではあるが、一方で家族をほかの人々から離すことでもある。また、ジョギングを選択するということは、ほかのスポーツへの参加を制限することでもある。

 

一緒にジョギングをすることはその家族の価値を明示する(パターンをともに創造)が、ほかの活動の価値を隠蔽する(逆説的統一性を生きる)ことにもなっている。

 

 

《原理3》

可能性をもってともに超越するとは、変容する過程でユニークな創生の仕方に力を与えることである(2004)。

 

この原理は、まだそれでないものへと推し進むことによって、新たに創造しながら夢をもって超えていくことを明らかにしている。

 

夫婦と3人の子どもの一家に、それまで独居していた妻の実母と同居する必要性が生じた。これまで夫は、家族に相談はするが、主要なことの決断は夫がしていた。これがこの家族の意思決定のパターンだった。
今回も家族で話し合ったが、夫は義母と同居すると妻に負担がかかるだろう、と考えた。

 

2人の子どもは、「おばあちゃんはいい人だが、一緒に住むこととは別問題よ」という。一方、妻は「子どもが小さいときによくみてくれていたのに、あなた(夫)が私の母親との同居を反対するとは意外だわ」といい、もう1人の子どもも「おばあちゃんを助けるべきよ」という。
夫は改めて自分の考え方を思い直し、さらに新たな意味を考えようと友人にも相談すると、「同居すれば家事も手伝ってもらえるし、家族の自由な時間もつくれるよ。君はラッキーだ」といわれた。
そこで、夫は義母に家事の切り盛りへの参加を誘うと、義母は喜び、同居によって彼女自身も元気になった。

 

この事例では、夫がそれまでの意思決定パターンを変えたことにより、家族それぞれや友人とのかかわりのなかで変容が生まれた。親しみのあることと親しみのないことを検討するなかで、新たな考えが創出され変容することで新しい家族が形成された事例である。

 

 

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人間生成理論の実践方法論 ─ 生命・生活の質(QOL)

人間生成理論に基づく看護実践は、生きられた体験としての生命・生活の質(QOL)に焦点をあてる。

 

そして、この生命・生活を生きている本人が判断するものであるという立場をとる。

 

つまり、看護師は健康や生命・生活の質に関する個人の意思決定に敬意を払い、その人の生命・生活の質を高めるために考えはするが、その質の判断には関与しない。

 

生命・生活の質(QOL)の判断は、生活を送っているその人だけにしかできない。そのため看護師はその過程で真にともにありながら、ただ尋ねるだけなのである。

 

 

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看護実践の特性と過程

人間生成理論に基づく看護実践の特性と看護師が真にともにあるという過程は、次のとおりである。

 

①意味を明らかにすることとは、現在生じていることがどんなことかがはっきりしていくように、それがかつて何であって(過去)、いま何であり(現在)、今後何でありうるか(未来)を言語化することによって、現在何が起こっているのか、その意味をはっきりさせることである。

 

②リズムに同調することとは、人間─天地万物の過程で生じるリズム(縦揺れ、横揺れ)のなかに身を置き、結合したり分離したりする流れにひたることである。つまり、いまの瞬間を一緒に生きること、真にともにあることを実践することである。

 

③超越を結集することとは、まだ起こっていないことに対して現在の意味のある瞬間を越えて、心に描いた変容の可能性を推進することである。

 

つまり、看護師はその人に一般的な健康のあり方を強要するよりも、その人が健康を言語化することによって浮かび上がってくる健康状態の意味をじっと待つ。

 

そのとき、看護師は不均衡なリズムを鎮めようとするのではなく、むしろその人が語り、認識するその状況と苦闘のなかにある人生の浮き沈み、喜びや悲しみに生じるリズムの流れに沿って進むということである。

 

なぜならば、人間は、価値の優先順位が変化したとき、看護師と真にともにあることのなかで健康パターンを変化させる可能性があるからである。

 

 

看護師の態度:真にともにあること

看護実践における看護師のあり方は、とても重要である。

 

それは、「真にともにあること」だが、このあり方とは、天地万物のすべての領域で体験する人間と人間の強い結びつき、音・静寂、見ること・見ないこと、すべての動いているもののリズムとともにあるあり方である。

 

これは看護師が意図的にかかわったり、意図的に気遣う行為からは出てこない。なぜならば、意図的であること自体が、他者からエネルギーを取り上げ、注意を逸らすことになるからである。

 

 

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パースイの看護理論から得るもの

パースイの看護理論は、これまでの伝統的な看護実践とのパラダイムが異なっているだけでなく、哲学的な用語が多数使われているため、理解するのは容易ではない面がある。

 

しかし、パースイは、価値優先性や生命、生活の質は、人間が自らの生き方を選択することであり、それを判断するのはその人しかできないという「選択の権限の重視」というとらえ方をした。

 

これは、大抵の医療者が行っている「その人を判断し、その人のために実践する」という姿勢とは、正反対のものである。

 

このようなかかわり方は、医療を受ける側の主体性を重視するものであり、今日的なかかわり方であると考える。

 

また、この理論を学ぶことによって、看護師はその人が自分の生きられた体験を認識し直し、新たな生き方への変容が遂げられるように、真にともにある存在としての看護師のあり方や態度をいま一度、振り返ることにつながるのではないだろうか。

 

 

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看護理論のメタパラダイム(4つの概念)

1人間

人間は、パースイの看護理論の中心的概念である。

 

人間とは、天地万物と相互にリズミカルで逆説的な関係づくりのパターンを、ともに創造している統一体である。

 

人間は状況のなかで意味を自由に選択し、その決断に責任をもつ開かれた存在で、可能性をもって多次元的に超越している。

 

また、人間は、希望と夢を求めて関係づくりのリズミカルなパターンを選択している自由な行為者であり、意味付与者なのである。

 

 

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2環境

パースイは、人間は環境に適応するのではなく、人間は環境と相互に作用し合っている関係であるから、両者を分離できないものとしてとらえている。

 

したがって、環境をそれ単独で定義づけることはしない。

 

 

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3健康

健康とは、パースイの看護理論のもう1つの重要概念である。

 

健康とは、病気ではない状態とか心身が良好な状態ということではなく、またその連続体上に位置づけられるものでもない。

 

天地万物との相互過程で、人間がともに創造する継続的な変化の過程なのである。

 

つまり、健康とはその人の生活世界で実際に生きられたことの意味であり、この意味とは状況のなかで自由に選択したことを表している。

 

健康を生きるパターンの変化が、状況の意味を変えることになる。健康とは他者とともにつくり出される個人的なコミットメントなのである。

 

 

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4看護

看護とは、その人のために何かをする、あるいは、指針を示すことではなく、真にともにあることである。

 

その人が健康のパターンを認識し、その状況のなかで自由に選択するのを見つめながら、その人が人生のそのときの意味に新たな光を与えられるように、示唆に富む思いやり深い存在としてともにあることである。

 

つまり、看護とは、生きている統一体としてのその人の健康状態に、質的に関与することなのである。

 

 

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看護理論に基づく事例展開

パースイと看護過程

看護過程は、問題解決法であり、その前提としての人間は環境に適応したり、治療や援助される存在というものである。

 

一方、パースイの看護理論による看護実践は、その人のために何かをするというよりも、その人と「対面する」というかかわり方であるため、看護過程を支持しない。

 

 

1計画

アセスメントや診断をして意図的なかかわりをもつことはしない。

 

その人の健康体験を尊重し、生命と生活の質を高めるために、あくまでもガイド的なかかわりを計画する。

 

 

2実施

患者とともにあることで患者が示す、あるいは示さないものから意味を明らかにできるようにガイドする、リズムに同調できるようにガイドする、そこから超越できるようにガイドするといったかかわりを実施する。

 

 

3評価

とくに評価の規定はないが、意味が明らかにできたか、リズムへの調和ができたか、可能性に向けて超越することができたかを評価することはできる。

 

 

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ICU入院後、認知症症状がみられる男性の事例

 

事例

Tさん、87歳、男性、元小学校教諭。妻(84歳)と2人暮らし。妻の体調が悪くなったため、娘の家族と同居する目的で6年前に地方から都会に出てきた。しばらく娘家族と同居していたが、妻の体調がよくなり、夫婦の希望で娘家族の近くで2人暮らしを再開した。生活環境の変化に戸惑いながらも、子どもや孫が近くにいること、近所付き合いもいいことなどから、都会の生活に徐々になじんでいった。

風邪のため自宅で療養していたある日、心不全を起こし、ICUに緊急入院して人工呼吸器が装着された。1週間後にICUを出たが、認知症のような症状がみられ、バルーンカテーテルや足からの点滴を嫌がって外そうとする。会話はできたり、できなかったりする。

 

 

1実施

Tさんは、体調がよいと地方で元気にしていた頃のことを思い出し、話すときがある。

 

Tさんと同郷である年輩の看護師が、Tさんの話に出てくる書店の特徴やその周辺の町並みのことを話題にすると、ニコニコして聞いていることもある。

 

そのうち何回かベッドから降りようとする。当初はベッドからの転倒を防ぐために手を拘束したにもかかわらず、どうやってベッド柵を乗り越えたのかわからないが、ベッドの下に寝ている。Tさんの行動の意味がわからず、家族とも話し合いをもつ。

 

Tさんは、元気な頃は週1回宝くじを買いに行っていた。自宅療養するようになってからは、家族に買ってきてもらっていたが、新聞に掲載される宝くじの番号調べはTさんの楽しみでもあり、習慣的な行動でもあったという。

 

 

そこで、看護師はベッドのなかで動くTさんに、宝くじの話題を投げかけてみた。すると、何かを欲しがる様子をみせるので、新聞や拡大鏡を渡すが、どうも何か書くものを求めている様子である(行動の意味を理解する)。

 

やわらかい筆ペンとノートを渡すと、「これこれ」といわんばかりの表情で、自分で数字をいいながら書き出した。

 

実際にはミミズのような線だけで数字にはなっていないのだが、本人は一生懸命に書き出している(リズムに同調する)。

 

ひとしきり書いてそれを自分で読み上げると満足そうに眠りについた(超越していく)。

 

この事例では、ベッドからの転倒を回避するために拘束という手段が最初に取られたが、認知症症状がみられるTさんはいつの間にかベッドの下にいる。

 

つまり、安全対策としての手段は意味をなさなかった。

 

しかし、Tさんの時と空間を超越した行動(元気な頃の行動がいまに結びついているということ)の意味が看護師に理解できると、Tさんの行動には意味が付与された。

 

看護師がその流れに同調すると、Tさんの行動は変容した。Tさんの行動は問題行動ではなく、とても落ち着いた行動になったのである。

 

 

2評価

看護師はTさんに寄り添い話しかけた。家族との話し合いをもったことから、Tさんの過去の行動が明らかになり、Tさんの現在の行動はより理解できた。

 

看護師はその行動のリズムに同調することによって、Tさんの意味不明な行動は落ち着いた行動へと変容がみられた。

 

(この事例は、パースイの看護理論で展開したわけではなく、過去の事例をパースイの看護理論に沿って再検討を試みたものである)

 

 

パースイについて(詳しく見る) パースイについて

ローズマリー・リゾ・パースイ(Rosemarie Rizzo Parse)は、これまでの自然科学に基づく医学モデルとしての伝統的な看護実践ではなく、看護独自の理論として、人間科学に基づく看護の考え方を提唱している。

 

また、パースイは看護学を、ほかの科学の知識を引き出す応用科学としてではなく、固有の知識体系をもつ基礎科学であると主張している。

 

 

看護教育への関心

パースイは、アメリカのペンシルバニア州のピッツバーグに生まれた。そして、同地のデュケイン大学で看護学士を取得した。

 

しかし、その大学には大学院がなかったため、ピッツバーグ大学の大学院に進んで、看護学修士号と博士号を取得した。

 

そのときの学位論文のテーマが『看護教育のための教授モデル』であることからわかるように、彼女は看護教育に対する関心を早くからもっていた。

 

修士課程に在籍していた頃から看護教育に携わり、デュケイン大学では通算15年間、看護学の教員として従事した。最後の2年間は看護学部長として、大学院修士課程を開設している。

 

このデュケイン大学は、1960年代から80年代にかけて、アメリカにおける実存主義的現象学的運動の中心地とみなされていたところである。

 

 

教育者として、理論家として、実践家として

パースイは、1983年から1993年までニューヨーク・ハンター大学看護研究センターの教授を務め、その後、シカゴ・ロヨラ大学教授として修士・博士課程の教育に携わり、2007年からニューヨーク大学の教育に携わっている。

 

その一方で、看護学の研究成果を促進するために、Discovery International Inc.を設立する。

 

看護コンサルタント会社の社長として、また、人間生成研究所(Institute of Human Becoming)の創始者として、世界中の看護学部のカリキュラム作成などに関する教育相談・保健医療施設の相談や家族指導に応じている。

 

さらに、パースイ理論に基づく研究や理論開発、セミナー開催などの啓発活動や、国際看護理論家会議を主催するなど積極的な活動を行っている。

 

わが国では、1991年と1995年の国際看護理論家会議を主催した。また、『Nursing Science Quarterly』誌の創刊者であり、編集長でもある。

 

 

理論家としての業績

パースイには、多数の論文のほかに9冊の著書があり、世界の多くの国々で翻訳されている。

 

わが国では、1981年に初めて著した『Man-Living-Health:A Theory Nursing』(『健康を−生きる−人間:パースイ看護理論』)と、1998年の『The Human Becoming School of Thought:A Perspective for Nurses and Other Health Professionals』(『パースイ看護理論:人間生成の現象学的探求』)が翻訳されている。

 

シグマ・シータ・タウとドゥーディ出版社の「看護理論部門の年間優秀図書」として、1998年に『The Human Becoming School of Thought :A Perspective for Nurses and Other Health Professional』が、それぞれ選ばれている。2008年にニューヨークタイムズから看護教育者賞を受けている。

 

 

伝統的な看護実践への懐疑

伝統的な看護のあり方に矛盾を感じたパースイは、最初の看護理論である『Man-Living-Health :A Theory Nursing』の序文で、看護特有の知識体系を創案したことについて、次のように述べている。

 

ずっと昔に湧いたものなのですが、そのとき私はいぶかり、迷い、そうじゃないかしらと問い始めました。…主として私の看護にかかわる生きられた体験をとおしての他者との対人関係のなかで、長年にわたって私のなかにヤヌスのような形で浮かび上がってきました」(1985)

* ヤヌスのような形:ローマの双面神ヤヌスは反対の方向を向いている2つの顔をもっていることから、比喩的に使われる言葉

 

さらに、既存の看護学が医学モデルに強い影響を受けている点について、パースイは次のように指摘している。

 

 

1看護教育のあり方について

看護教育のカリキュラムや教科書は、医学の専門分野に沿った「内科・外科看護」「小児科看護」「産科看護」といった科目名になっている。

 

少し違った呼び方としては、内科・外科看護を「成人保健」、産科・小児科看護を「母子保健」ともよぶ。

 

上級実践看護師の教育と実践は、医学モデルのやり方とさらに密接なものになっており、薬の処方や処置を行うという伝統的な医師の役割を引き継いでいるが、これらすべては医学モデルに準じた教育なのである。

 

 

2理論的アプローチについて

今日の看護で広く行きわたっている理論的アプローチでは、人間を生物的−心理的−社会的−スピリチュアルな有機体としてとらえている。

 

これは生物−心理−社会モデルに焦点があてられ、そのシステムの組織や臓器、それらの種々の疾患を別々に見立てて治療し、援助するという分析的なとらえ方である。

 

このように、看護学が医学モデルに準じることは、自然科学的な数量的、分析的で、人間も部分的に分ける見方に陥っているのではないだろうか。

 

 

既存の看護学=総合性のパラダイム

医学モデルに準じたかたち、すなわち自然科学に基づく伝統的な看護実践における人間観とは、人間を部分の総和とみなし、機械論的な生物的−心理的−社会的−スピリチュアルな存在であり、身体、精神、魂という明確に別の部分からなるものの集まりとするとらえ方である。

 

そして、健康とは身体的、心理的、社会的、スピリチュアルによりよくあること(well-being)であり、人間−天地万物の過程は適応の過程であると考えられている。

 

これは総合性(totality)のパラダイムであり、自然科学的で分析的な見方なのである。

 

 

看護の新たなパラダイム=人間科学に基づくパラダイム

看護の新たなパラダイムとは、同時性(simultaneity)のパラダイムの見方である。

 

それは、人間は統一体(unitary)であり、パターンによって認識される分割不可能な存在であり、人間−天地万物の過程は常に相互に変化するものであるとする考え方である。

 

これは自然科学ではなく、人間科学に基づくパラダイムである。そして、これは人間を部分の総和とみなして、身体や病気に焦点をあててかかわるというパラダイムとは、相容れないものなのである。

 

 

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本連載は株式会社サイオ出版の提供により掲載しています。

 

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[出典] 『新訂版 実践に生かす看護理論19 第2版』 編著/城ヶ端初子/2018年11月刊行/ サイオ出版

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