アーネスティン・ウィーデンバックの看護理論:臨床看護における援助技術
『新訂版 実践に生かす看護理論19 第2版』(サイオ出版)より転載。
今回はウィーデンバック
の看護理論である「臨床看護における援助技術」について解説します。
増田安代
姫路獨協大学看護学部 元教授
- まず個人(患者)がいて、看護師が存在する。個人(患者)は、力や能力をもつ存在である。個人(患者)の「援助を求めるニード(need-for-help)」を明確化していくことから援助が始まる。
- 看護実践は、「援助を求めるニードを明確にする」「必要とされる援助の提供」「個人(患者)にとって役に立ったかどうかの確認」の3つからなる。
- ペプロウやオーランドの看護師─患者関係論の影響を受けており、「いま・ここで」の相互関係のなかで、看護師の知覚・感情(考えたり感じたこと)をもとに援助が行われる。
- 看護師の知覚・思考・感情を吟味し、ズレ・不一致に気づいていき、個人(患者)が置かれている状態や状況を観察し確認していくことが、「熟慮された動作」への看護実践につながる。
- 看護の哲学に基づき、目標に向かって臨床看護は実践されなければならない。
- 看護師と個人(患者)は、「援助を求めるニード」を明確にし、ニードを相互に満たしていくプロセスのなかで看護師は看護の中心目的(目標)を決定し、それを達成するための処方(計画)をつくり、実態のなかで実践されていかなければならない。
- 再構成とは、個人(患者)とのかかわりで気になる看護場面の再現であり、プロセスレコードでかかわりや援助を振り返り自己洞察することである。熟慮された動作に基づく看護を実践していくうえでの教育訓練になる。
ウィーデンバックの看護理論
ウィーデンバックの看護理論の中心的な概念は、「人間」と「看護」である。
看護師が存在するのは「援助を求めるニード」をもつ個人(患者)がいるからであり、そこから看護は出発し、看護師の思考と感情をとおして個々人との関係のもとに看護が展開されていくことについて述べている。
「援助を要するニード」「援助へのニード」とも訳される。個人(患者)が自己の機能を有効に維持していくための能力が妨げられ、何らかの援助や能力を高める手助けを必要としていることを自覚している状態のことで、個人(患者)が他人への援助を求め、要求している方法や行動のこと。
看護理論のベースはヘンダーソンの「ニード論」であり、ヒルデガード・E.ペプロウ(Hildegard E.Peplau)やオーランドの「対人関係論」の影響も受けている。
ウィーデンバックは、看護師は個人(患者)との相互の影響を認識しながら、その関係性のもとに個人(患者)によって認知され体験されている「援助を求めるニード」を満たしていき、個々の人の力・能力を回復させたり、増進させていかなければならないとしている。
そしてその際、「看護の哲学」のもとに援助が実施されなくてはならないとしている。
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理論の構成
ウィーデンバックは、健康問題の解決や健康の維持・増進に向け、看護師がどのような看護を展開しなければならないかについて、デイコフとジェイムズの状況産生理論(望ましい状況と、その状況をもたらすべきものとの両方を概念化したもの)を参考に、①看護の中心目的(中核的目的)、②処方(規定)、③実態(現実)という構成で理論を構築した(図1)。
看護の中心目的(中核的目的)とは、看護の哲学を土台とし、個人(患者)のケアに際しての目標や責任について具体的に示すものである。
処方(規定)とは、目標達成のための具体的な活動や計画で、「相互に了解された」行為、「受け手─指向」の行為、「実務家─指向」の行為という3種類の任意行為を指示する、としている。
実態(現実)とは、看護を実践するうえで個人(患者)の置かれている特定の固有の状況や状態を考慮することを意味する。
看護師と個人(患者)とが相互に、援助を求めるニードを明らかにし、ニードを満たしているか確認していくプロセスのなかで、看護師は看護の中心目的、つまり「目標」を決定し、それを達成するための処方、つまり「計画」をつくり、実態のなかで実践していくのである。
目標や計画は、実態、つまり“そのとき・その場”の「いま・ここで」の個人(患者)の状況や状態を分析したり、看護師の思考や感情を吟味しながら、実践されなければならないとしている。
ウィーデンバックは、看護過程のなかでもとくにアセスメントと計画立案に焦点をあてているといえる。
なお、看護過程の展開では、個人(患者)全般に関する情報が幅広く収集され、アセスメントされなくてはならない。
ウィーデンバックの場合は、看護のプロセスにおける個人(患者)の「援助を求めるニード」の明確化をアセスメントと考えている(図2)。
その際、かかわりのなかで看護師が個人(患者)に関して認知したことや、看護師自身の行動を吟味することで、直感的なものからより的確で意識的な相互性に基づいたアセスメントができると考えている。
そのうえで、“そのとき・その場”の援助を明らかにしていかなければならないとしている。そして、個人(患者)にとって役に立ったかどうかの確認が、看護過程の評価と考えることができる。
ところで、この「援助を求めるニード」をもつ個人(患者)が存在するという背景には、人間のもつ力・能力や自己決定していく力に重きを置き、個人(患者)が自分の行動の意味を理解し意識化していけるような援助が大切であるという考えに基づいている。
そして、“そのとき・その場”の患者のニードを、同一時間と同一場所のなかで、看護師は満たしていかなければならない。
さらに、臨床看護で援助していくうえでの必須事項として、①一致・不一致の原理、②目的に適った忍耐の原理、③自己拡張の原理の3つをあげ、「熟慮された動作」をめざさなければならないとしている。
「熟慮された動作」とは、単に看護師が知覚したことや感情での反応的・機械的な行為ではない。
看護師は、個人(患者)との相互作用をとおして言語的・非言語的な行為の意味を分析し、「援助を求めるニード」を明確にしたり、ズレや不一致のない個々人の意に沿ったニードを満たしていくことである。
臨床看護は、看護師が「熟慮された動作」を行う努力をすることで、個人(患者)の尊厳が守られ、個人(患者)がもつ力や有能さが回復し拡大される。
それによって、看護師そのものも「援助を求めるニード」が満たされたことを知り、心打たれる感情を体験できるとしている。
このことは、看護師にとって「熟慮された動作」を実践していくうえで、情緒的に満たされる経験は重要であるということを意味している。
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「再構成」とは
ウィーデンバックは、この「熟慮された動作」を臨床看護の場で実践し、ズレや不一致への気づきを促進できるように、感受性を磨く教育訓練の方法として「再構成」を用いることを提案している。再構成とは、看護師と個人(患者)との間で「いま・ここで」起こったことに対する看護場面の再現である。
ウィーデンバックの再構成の場合、特定の看護場面を選んで自己評価するところに特色がある。
再構成を活用した教育訓練では、看護師が援助するなかで個人(患者)またはそのケアに関連する人々との間で起こっている相互作用のプロセスに注目する。
看護師自身の「知覚」「思考」「感情」が、看護師自身の言動や行為にどのように影響しているのかを洞察する。
私たちは、患者とかかわっていくなかで、つい援助場面における出来事や言葉に気をとられてしまい、その意味や真意について考えず既時的に対応したり、言動をとおして何らかのサインを出しているにもかかわらず見逃したりするときがある。そうしたときは、客観的に見直していく時間が必要になる。
そこで、場面を再構成して自己洞察したり、意識的に自己のケアを見つめ直すことで、次のよりよい実践へとつなげていくことができるのである。
また、知覚するということは、五感をとおして感じとることであり、言語的・非言語的な出来事を思い起こし、意識に上らせていくことで、五感を鋭敏にしていくこと、ひいては悟性を磨いていくことにもつながってくる。
ウィーデンバックは、再構成を行う場合、①すっきりしなかった場面、②自分の働きかけが効果的ではなかった場合、③患者の反応が自分の予測していたものより大きくずれていた場合、などに絞るように述べている。
再構成は、エール大学看護学部の臨床実習で用いられ、教育訓練に使われた。そこでは、自己の看護行為を吟味し検討していくために、5項目の評価の視点をあげている。
- 1あなたはどんな理由で再構成のためにとくにこの場面を選んだのか
- 2患者の援助を求めるニードを見極めたり、患者の必要としている援助を与えるために、あなたは自分の知覚したこと、考えたり感じたりしたことをどのように活用したか
- 3あなたは自分がしたことを通じて、どんな成果を得ようと試みたか
- 4あなたが得たような結果に至ったのは何が原因か
- 5再構成を書き、振り返ってみることによって、どんな自己洞察を得たか
ここでは、看護師または看護学生の立場から体験している要素を、①看護師(私)が知覚したこと、②看護師(私)が考えたり感じたりしたこと、③看護師(私)が言ったり、行ったりしたことの3つに分けている(図3)。
3つに分解することで、一つひとつの評価が明確にでき、自分自身がなぜその行為に至ったのか、また自己の言動の影響について吟味しやすい。
この追体験をとおして、相手(患者)の身に起こっていることを「どのように感じ、どのように考えているのか」についてみつめ返すことで、「相手の立場に立つことができているのか」「ニードへのズレや不一致はないのか」について気づくことができる。
また、自分の感情を客観的にみつめることができる機会にもなる。
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ウィーデンバックの看護理論から得るもの
ウィーデンバックは、看護を実践するうえで重要なことは、まず「援助を求めるニード」、個人が求め、かつ要求しているニードを明確にしていくことである、としている。
そして、この看護実践における段階を4つに分けた。
- 第一段階:患者(個人)に期待される行動と実際の間に不一致がないかどうかについて、看護師が個人(患者)を観察しながら検討する。
- 第二段階:看護師が不一致の意味を明らかにしようとする努力や理解を試みる。
- 第三段階:看護師が種々の探索方法をとおして、その不一致の原因を突き止める。
- 第四段階:看護師の援助が必要であるか、また看護師の解釈が適切であるかについて個人(患者)とともに確認する。
看護師はこうした段階を踏みながら、「いま・ここで」のかかわりのなかで、個人(患者)が置かれている状態、状況、ニードを理解する。
看護師自身の思考と感情を吟味しながら、ズレや不一致がないか分析し、その妥当性について相互に理解していかなければならない。
常に“そのとき・その場”において、この個人(患者)に確認していく行為が重要になってくる。
このような実践を積むことで、看護師は個人(患者)の意向に沿う「熟慮された動作」に基づいた看護が展開できるようになる。
この背景にあるのは、個人を力や能力をもった存在としてとらえているからである。
そして健康に関する問題解決をはかっていくのは看護師ではなく、「主役は個人(患者)である」という対等な関係に立った考えに基づいているからである。
看護師は、「援助を求めるニード」を個人(患者)が認識し、加えて個々人が有能性を発揮し促進できるように、そして主体的に取り組めるような援助を展開していかなければならない。
つまり、看護師が一方的に働きかけるのが臨床看護ではなく、相互関係のなかでともに解決の目標に向けて歩んでいく関係であることやエンパワーメントされていくことを念頭に入れておかねばならないのである。
ウィーデンバックは、そのことを示唆していると考える。
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思考と感情を吟味する方法
では、相互のかかわりにおける看護師の思考と感情を、どのように吟味していけばよいのだろうか。
ウィーデンバックは、看護実践の時間の流れのなかで、「そのとき・その場」の気になる体験の一つひとつを、再構成という方法を用いて援助を振り返っていくことで、対象者の意向に沿ったズレや不一致のない看護を実践していくことができるとしている。
再構成では、単に1つの看護場面の体験だけを繊細に思い出すのではない。看護師自身の認知や心の動きをも思い出し、分析したり自己洞察していくものである。
自己のかかわりや援助を振り返ることで、その曖昧さに気づいたり、援助の意味を確認したり、解明していくものである。
つまり、個々人の意向に沿い、個々人のもっている力や能力を大切にした、「熟慮された動作」での看護を実践するための訓練方法であるとしている。
なお、ウィーデンバックの再構成では、書き手(看護師または看護学生)の立場から記録するようになっていて、書き手が主体的に取り組めるようになっている。
さらに、なぜその場面を選んだのかについて理由を書くことで、自己評価をするときに絞り込みやすくなり、考察が明確になる。
また、ウィーデンバックのあげている自己評価項目に沿っていくと、「そのとき・その場」のニードへの知覚、必要な援助への判断と計画、実施とその結果に関する振り返りや評価、再アセスメントにもつながる。
看護学生や新人看護師が自己成長していくうえでの学習方法としては、最適であるといえるだろう。
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看護理論のメタパラダイム(4つの概念)
1人間
人間は、力や能力をもつ個別の機能する存在であるとし、看護の対象を「援助を求めるニード」をもつ人と限局している。
ウィーデンバックの著作のなかでは、人間について
「健康で安楽で有能」
「自立を求めてやまない」
「自己の責任を果たす」
「自己決定する力をもつ」
「固有で独自の可能性を所有する」
「自分のニードを満たすための絶えざる努力を満たす力をもつ」
「機能的存在で、機能を果たす能力が備わっている」
「もっている機能を発揮し続ける」
「自己を保持・保護する潜在能力は一人ひとり異なる」
「物理学的・生理学的・心理学的な反応をする」
と述べている。
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2環境
環境については明確に述べられていない。
しかし、環境は障害に反応する個人の能力に影響すると述べていることから、人間、健康、看護を含めたものであり、同一場所と同一時間、そして個人が直面している「そのとき・その場」の状態や状況、そして看護師をも含めて環境ととらえていることがうかがえる。
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3健康
健康については、明確に述べられていない。
しかし、個人は「健康」であり、「安楽」で、「能力を発揮できる」としていることから、身体的・精神的・社会的に安寧な状態で、「そのとき・その場」の状況で機能している状態を健康ととらえていることがうかがえる。
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4看護
看護とは、「援助を求めるニード」として体験していることを満たしていくことである。
個人が「援助を求めるニード」を体験している「いま」という時間に、「ここで」という場所、つまり同一時間と同一場所で、明確な看護の哲学に基づき、特定の目的達成をめざして、看護師の思考と感情をとおして患者とのかかわり合いのなかで行われるものとしている。
そして、個人により進んで利用され、自分の状況や状態への適応、能力が妨げられている場合には、克服していけるようにすることが、看護なのである。
看護とは思いやりと理解と技術をとおして、健康問題領域においてケアや相談、自信の回復を必要としている人々にサービスを提供することであり、「熟慮して行う動作」によって実践されなければならないのである。
なお、ウィーデンバックは、技術をartととらえ、看護の技術をnursing artとしている。
看護の技術とは、患者が体験している「援助を求めるニード」を満たすために、知識と技能を適用することであり、患者との一対一の関係のなかで看護師によって行われるものである。
そして、患者の「そのとき・その場」の状況における独自性(specifics)に対する看護師の意識的な反応から成り立つとしている。
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看護理論に基づく事例展開
ウィーデンバックの看護過程
ウィーデンバックの理論は、看護過程のなかのアセスメントと計画の立案に焦点をあてている。
看護師は、「いま、ここで」の個人(患者)との相互のかかわりのなかで、常に「そのとき・その場所」における看護師の思考と感情を吟味しながら、個人(患者)の置かれている状況や状態を理解し、援助を求めるニードを明らかにして、それを満たし、援助していく。そのプロセスにおいてズレや不一致がないか確認していくとしている。
以下に、具体例をあげてみよう。
統合失調症で、3回目の入院のO氏は、服薬の中断が再発の原因であり、入院時から拒薬が続いている。
錠剤では飲み込みにくいと話しており、口内に入れるもののトイレに行って薬を吐き出すということで、散薬が与薬されることになった。
最初は、散薬を服薬していたが、またトイレで薬を吐き出すようになった。O氏は、ほとんど看護師と会話をしようとはしなかった。
看護師たちは、服薬ができるようになって精神症状が緩和すれば、自宅に帰すことができると考えていた。
拒薬は、病識の欠如が原因だと考え、服薬の必要性を説明したり、服薬を工夫するなどを行った。
しかし、拒薬は続く。看護師たちは、O氏の態度にいらだち始めた。
そんななか、N看護師が風邪を引いて3日間休んだ。内科を受診し、散薬の風邪薬が処方された。
子どもの頃から苦いものが苦手だったN看護師は、泣く泣く服薬し、やっと風邪が治って勤務できるようになった。
3日ぶりに会ったO氏にN看護師がしみじみと「散薬は苦くて飲むのが大変だよねえ」といった。
すると「やっとわかってくれたなあ」とニコッとしてO氏はいった。
「舌がチカチカして飲めたもんじゃないよ。たまらないなあ、ヒリヒリするし、あの刺激は…」
この言葉を聞いて、N看護師はハッとした。O氏の拒薬の原因は、散薬の舌への不快な刺激が原因であるということにこの言葉で気づくことができた。
それをきっかけに、散薬から飲み込みやすい小型の錠剤に変更してもらい、服薬後に蜂蜜水を用意した。その後、O氏は、服薬するようになったのである。
図4ウィーデンバックの看護過程
O氏の「援助を求めるニード」は、症状緩和のための服薬ではなく、散薬に変更になって舌に感じる不快な刺激への共感的理解と、飲みやすい薬への変更であった。
しかし、看護師たちはO氏には病識がないことから拒薬が続いていると考え、「いかに服薬させるか」ばかりに目がいき、いらだっていた。
O氏が何らかのサインを出していたのかもしれないが、「そのとき・その場」の状況に気づくことができなかった。
与薬方法そのものや、なぜ薬を飲まないのか、飲むことができないのかについて、そのつどO氏に確認しなかったのである。
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プロセスレコードを活用する
ウィーデンバックは、患者とのかかわりやケアについて適切であったか、「そのとき・その場」のニードを的確にとらえているかどうかについて、再構成を用いて自己洞察していくことが大切である、といっている。
さらに、再構成を進める方法として、プロセスレコードで看護場面を再現して探っていかなければならない、ともいっている。
プロセスレコードを使って看護場面を再構成する場合、まず再構成する目的が明確でなければならない。
そして、①なぜその場面を取り上げようとしたのか、②患者の言動とノンバーバルな部分(見落とされがちだが重要である)、③看護師が感じ・思い・考えたこと、④看護師の言動、を順次記入していく。
このとき、各文頭に番号をつけて、横のラインを揃えることで一連の流れがわかりやすくなり、メッセージがみつめやすくなる。
最後に、⑤分析・考察していく。なお、⑥まとめを入れることで、再構成をした目的が再度吟味され、次にむけての援助が明確になると考える。
看護学生や新人看護師の場合は、看護教員やスーパーバイザーから評価やアドバイスを受けると効果的である。
その際、前述した具体例のようにケアの進展がみられない場合には、プロセスレコードをとって患者とのかかわりを振り返る。
そうすることで、患者の行動をどのように認知し、それが自己の行動にどのように影響しているのかについて理解でき、ズレや不一致を明らかにすることができる。
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片麻痺がありうつ状態の女性の事例
Aさん、72歳、女性、家業は農業。長男夫婦と同居している。診断名はうつ病で、3回目の入院である。3年前に夫に先立たれ、その後からうつ状態になる。1年前に脳梗塞を併発し、後遺症として左半身麻痺が残っている。日常生活行動は時間がかかるが、一部介助すれば自分でできる。
「息子や孫に会いたいけど忙しいからねえ…」
「家に帰っても農業の手伝いはできんし、家事もできんし…」
「かわいがっている孫の結婚式には出られんかったなあ」
1人でポツンとしていることが多く、看護師ともあまり会話をしない。長男夫婦は、Aさんが軽快すれば面倒をみたいといっているが、病院のほうが安心するということで、退院に向けて準備の時期にあるものの拒否的である。
看護学生のB子は、3年次の精神看護学実習でAさんを受け持った。
当初、訪室してもなかなか会話ができなかった。実習3日目、折り紙で鶴を折ったことがきっかけになり、折り紙をとおして少しずつコミュニケーションがとれるようになった。
Aさんを受け持って1週間が経過した。いつものようにB子が病室へ行くと、Aさんから突然「死ねたら…」などという思いがけない言葉を聞き、B子は戸惑ってどう対応していいかわからなかった。そこで、「そのとき」のAさんへの対応の場面を再構成し、どのような思いでそのような言葉を発したのかを理解したいと考え、プロセスレコードをとり自己のかかわりを振り返ることにした。
突然思いがけない発言があり、どう対応していいか戸惑ってしまった。
どのように受け止めればよかったのかについて振り返り、今後のかかわりについて考えていきたいと思い、再構成する。
《B子のまとめ》
Aさんは、夫に先立たれた喪失感で抑うつ状態になり、また脳梗塞から左半身麻痺で日常生活行動が困難になったことも加わり、うつ病で入退院を繰り返してきたことが考えられる。
外の秋景色から、元気で農作業をしていた頃や夫のこと、農繁期で忙しい家族を思い出していたことが考えられる。夫に先立たれたこと、家族に会えない寂しさや、家庭に帰っても家族の負担になるばかりだという思いから、孤独感が強くなって生きていることへの希望をなくしていることが推測され、「死ねたら」というような発言になったものと思われる。
私は、コミュニケーションをとることばかりにこだわり、沈黙に対しても息苦しさを感じている。Aさんは寂しい思いを誰かに受け止めて欲しいと考えていたのではないだろうか。
今後は、沈黙を大切にし、Aさんの寂しい思いを受け止めながら、かかわっていきたいと思う。
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事例のまとめ
本当は、家に帰り息子や孫に囲まれて暮らしたいAさん。しかし、左半身麻痺が残っていることから、家事や農作業の手伝いはできない。
家族の負担になるばかりだという思いや遠慮から、退院に向けての準備の時期にあるが、つらい気持ちになっている。
学生B子の「秋ですね。稲が黄色くなって…」という言葉が刺激になり、胸のなかにある孤独感や寂しさを(表1の)⑬や⑯のように口に出した。しかし、B子はAさんの思いに気づくことができなかった。
学生の言葉がAさんの感情表出のきっかけになった。しかし、逆に学生はAさんの言葉に戸惑い、沈黙に対しても気まずい思いでいた。折り紙をとおしてコミュニケーションがとれていたことを思い出し、その場を切り抜けることができた。
B子は、プロセスレコードに記述することで、Aさんの寂しさやつらい気持ち、複雑な思いを理解でき、また単にコミュニケーションをとることばかり考えている自分自身や、沈黙の意味の大切さについても気づくことができた。
なお、回復期にあることから希死念慮の出現も考えられるので、Aさんの言動に注意しながら学生はかかわっていくことにした。
アーネスティン・ウィーデンバック(Ernestine Wiedenbach)は、1900年にドイツで生まれ、幼少期にアメリカへ移住した。
子どもの頃に祖母の付き添い看護師との出会い、また姉の友人であるインターン医師から看護師の話を聞くことなどをとおして、看護への関心が高まっていったのではないかといわれている。
1922年、ウィーデンバックはマサチューセッツ州のウェリスリーにあるウェリスリー大学で一般教養の学士号を取得した後、メリーランド州ボルティモアにあるジョンズ・ホプキンス看護学校で看護を学ぶ。
1934年には、ニューヨーク州のコロンビア大学ティーチャーズカレッジで公衆衛生看護学の修士号を取得した後、さらに1946年、ニューヨークにある母性センター協会で助産師の認定を得る。
1952年、エール大学「母性ケア・教育プロジェクト」に特別研究員として参加する。その後13年間、看護学部助手および准教授として研究活動にいそしんだ。
1958年、ウイーデンバックは『Family-centered maternity nursing』(『家族中心の母性看護』)を出版し、中央新生児室に新生児が収容される事態に対して、母子ケアの観点から母子同室の必要性を提案している。
助産師や保健師として働き、また多くの看護学校で教育にも携わってきた。「看護は、母のように世話をするものである」というマザーリング的な考えを、実践してきた人でもある。
ウィーデンバックの理論は、アイダ・ジーン・オーランド(Ida Jean Orlando)との出会いや、ウィリアム・デイコフ(William Dickoff)、パトリシア・ジェイムズ(Patricia James)らの影響をはじめ、その豊富な看護経験をとおして構築された。
1964年には、『Clinical nursing:A helping art』(『臨床看護の本質:患者援助の技術』)を出版する。
ウィーデンバック理論は、臨床場面における「そのとき・その場」の看護師と患者(patient)のかかわりについて書かれたものである。
1978年、助産師養成機関であるAmerican College of Nurse Midwivesから、ハティー・ヘムシュマイヤー賞を受ける。その後、ウィーデンバックは退職し、フロリダ州マイアミで静かな余生を送った。
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本連載は株式会社サイオ出版の提供により掲載しています。
[出典] 『新訂版 実践に生かす看護理論19 第2版』 編著/城ヶ端初子/2018年11月刊行/ サイオ出版