病院実習なのに…!?こんなに違う、日本とオーストラリアの看護現場
「国境なき医師団に入りたい!」という夢を叶えるため、私は30歳のとき、英語の習得を目指してオーストラリアへ留学しました。
今回は留学先での経験についてお伝えします。
メルボルンのフリンダース・ストリート駅の前。ここからトラムに乗り換えて大学に通っていました。
日本と全然違う!オーストラリアでの病院実習
「電車が止まっちゃった、どうしよう!」
それは、大事な病院実習に向かっている途中のことでした。2004年、私はオーストラリアのメルボルンにある大学で看護の勉強をしていました。
授業よりも論文課題よりも、私は病院実習に一番緊張していました。
日本と比べると実習の内容は楽ではありますが、英語のハンデを持つ私にとっては生のコミュニケーション能力が試されてしまう現場です。
ただでさえ心が張り詰めているなか、この日は遅刻の焦りが加わります。
いつまでも動かない窓の外の風景を見ながら、心臓が圧し潰されそうになってしまった私は、なんとその電車の窓から飛び降りてしまいました。
そのまま病院方面に夢中で走り、途中で路面電車(トラム)をつかまえ何とか病院に到着しましたが、すでに1時間以上も遅刻していました。
「すみません!遅くなりました!」
病棟のナースステーションに息を切らしながら駆け込みます。
「あらあら、誰?え?学生さん?」
対応をしてくれたのは病棟の師長さんでした。
「はい、電車が止まってしまって、そのあと走って、トラムに乗り換えて。それで…」
などと言い訳をする私に、師長さんは「まぁまぁ、大変だったわねぇ」と言いながら私を休憩室に促し、「とりあえずここで休んで、まずは落ち着いて」と飲み物を勧めてくれました。
てっきり叱られると思っていた私は、師長の優しい対応に救われたと安堵していたのですが、裏の方で「今日学生さんが来る日だったっけ?あ、書いてあった。担当誰にしようか」などと聞こえてきました。
あれ?
もしかして私が現れなかったことなど、この病棟の誰も気にしていなかった、いや、気づいていなかった?
そんな空気を感じとり、拍子抜けしてしまいました。
実習に遅刻するなんて、日本ではどんな理由があっても厳しい評価に繋がってしまうという感覚が身に染みていた私ですが、オーストラリアではこの調子。
病院実習もギスギスしたところはなく、あくまでも「現場に慣れるのが目的」という雰囲気でした。
他にもオーストラリアのゆったりさ(適当さ?)を感じさせる場面をいくつも体験していくうちに、次第にこの国で生活をすることの心地よさを覚えていきました。
トラムが走る、メルボルンの現在の町並み(イメージ)。
”楽しそうな騒ぎ”に飛び込んで
病院実習から遡ること1年前の2003年6月、私は宿もビザも学校も何も決めずに日本を飛び出しオーストラリアのメルボルンにやってきました。
大学入学までの道のりを振り返ると、波乱万丈でもあり、順風満帆でもありました。
到着したメルボルンは、日本と反対で冬に突入する時期でした。まずは10人1部屋の安宿に滞在しながら、地元新聞の「ハウスメイト募集」の欄で本格的に住む場所を探しました。
風が吹けば飛んでしまうようなボロボロの狭い一軒家で、20代の3人のオーストラリア人と共同生活を始めることになりました。
そこは週末には見知らぬ人達がやってきて、大音量の音楽やお酒とともにどんちゃん騒ぎが始まる場所でした。
最初は戸惑っていました。これがオーストラリアでは普通なのか、それともこの家が異常なのか判断のしようがありませんでした。
ただ、私のような英語もままならず、収入もない留学生を受け入れてくれただけでも幸いです。
そう思いながら、初めのうちは部屋にこもって段ボールの机でおとなしく英語の勉強をしていた私でしたが、何だか楽しそうな騒ぎにそのうち混ざり込むようになり、結果的に私の英語はここで飛躍的に上達しました。
パーティの様子(イメージ)。
語学学校は、メルボルン市内に無数に存在する中から、大学入学に必要な英語のスコア、IELTSの強化コースを持つ学校に入りました。
5か月後にはスコアをクリア。
あっさりと希望していた大学の入学まで漕ぎつけることができました。
当時は観光ビザから学生ビザへの切り替えもとても簡単で、ここまでは本当にスムーズでした。
病院実習で生きた、日本での看護師経験
ただ実際に大学に入ってからは課題の多さや評価の厳しさには泣かされました。
授業の出席率、試験の成績に加え、グループ研究、数々の論文などが容赦なく与えられます。
真剣に勉強をしないものは簡単にふるい落されてしまう環境でしたので、しがみつくように勉強をしていました。
ただ、この大学ではいくつか面白い体験もありました。
試験の際に留学生は翻訳辞書の持ち込みが可能だということは驚きでしたし、また採血の学内実習などでは私自身も先生の1人に加えられることもありました。
ここはあくまでも看護を一から勉強する生徒のためのコースです。
私は「英語で看護を勉強し直したい」という理由で混ざっているだけでした。
7年も看護経験のある私にとって看護技術はお手の物。普段の授業では英語の面で足を引っ張ることがある私も、このような場面では存分に力を発揮できました。
2005年、無事に卒業し、オーストラリアでの看護師資格を取得しました。
オーストラリアでの卒業式にて。アカデミックガウンを着るのは夢のひとつでした。
頑張った自分を褒めるのはもちろんですが、卒業まで漕ぎつけられたのは先生たちの丁寧なサポート、同級生たちの親切な対応、実習で受け持つ患者さんたちからの温かい言葉を支えにできていたからでした。
移民の街、メルボルンは、世界一住みやすいと言われますが、その理由は異なる立場の人を受け入れる人々の温かさにあると確信しました。
さて、看護師の資格を取ったあとは就職です。ここまでは学生として甘えることのできる環境でしたが、この先はそうはいきません。
オーストラリアという外国で、実際に人の命を扱う看護師になるという現実が立ちはだかり、私はだんだんと怖くなっていきました。
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看護師・国境なき医師団白川優子
埼玉県出身。高校卒業後、4年制(当時)坂戸鶴ヶ島医師会立看護専門学校に入学、卒業後は埼玉県内の病院で外科、手術室、産婦人科を中心に約7年間看護師として勤務。2006 年にオーストラリアン・カソリック大学看護学部を卒業。その後約4年間、メルボルンの医療機関で外科や手術室を中心に看護師として勤務。2010年より国境なき医師団(MSF)に参加し、スリランカ、パキスタン、シリア、イエメンなど10ヵ国18回回の活動に参加してきた。著書に『紛争地の看護師』(小学館刊)。
編集:横山かおり(看護roo!編集部)
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コメント
コメント一覧 (1)
やはり30歳以下はワーキングホリデーで海外に稼ぎに行った方が、給料含めて、労働環境がずっと良さそうだ。薄給で酷使される日本の医療現場より、アメリカのほうが、人間関係も休みも勉強も給料も先進国だ。