これからも続く?世界最高レベルで安全な日本の出産
生みたくても病院がない!2000年代の「お産難民」問題
皆さんは「お産難民」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
2000年代後半にニュースでよく聞かれた言葉です。
「子供を産みたいけれど、地域に受け入れてもらえる分娩施設がない、すぐに予約が埋まってしまう」という状態です。
その頃は今よりもたくさんの赤ちゃんが生まれていた時期です。
しかし、出産時の医療事故報道が相次ぎ、心が折れてしまった多くの周産期医療従事者が現場から去ってしまったことが一因となり、お産の空白地帯が全国各地に生まれました。
2000年代に起こり、周産期医療に大きな影響を与えた事件をご紹介します。
◯福島県立大野病院事件
2004年に福島県立大野病院で前置胎盤合併の妊婦が帝王切開術を受け、出血により死亡。執刀した産婦人科医が刑法の業務上過失致死罪と医師法違反の容疑で2006年に逮捕、起訴された。2008年に無罪確定。
◯大淀病院事件
2006年に奈良県吉野郡大淀町の町立大淀病院で分娩中の女性が脳出血を起こし、18施設に受け入れを断られ、搬送先の国立循環器病センター(現在の国立循環器病研究センター)で死亡。毎日新聞が「スクープ」し、「たらい回し」「搬送拒否」とマスメディアで報道。警察は立件を見送り、民事の請求も棄却。
◯墨東病院事件
2008年に個人産院にかかっていた妊婦が激しい頭痛を訴えたが、都立墨東病院を含む7施設に受け入れを断られ、再度依頼した墨東病院に搬送され3日後に脳出血で死亡した事件。石原慎太郎都知事(当時)は「あってはならないことで残念」とコメント。
いずれの医療事故も報道された時には、「医療ミス」「搬送を拒否するなんて怠慢だ」と激しいバッシングが起こりました。
小さな赤ちゃんを残してお母さんが亡くなる…。とても胸が痛むことですし、何とかならなかったのかと思うのはもっともなことです。
ですが、医療は不確実なもの、絶対に思い通りにいくものではありません。
また、医療資源(医療のヒト・モノ・カネ)も有限です。
昭和の終わりまでは高かった赤ちゃんの死亡率
そもそも出産時には、母子ともに命に関わるリスクがあるものです。
でも、おそらく現役世代の多くの人は、身近な人が出産で命を落としたという経験はないのではないでしょうか。
これは、日本の出産が、そのリスクを忘れてしまうほど安全になったためだと思います。
日本の妊産婦死亡率は1950年には出産10万例あたり176.1 人(約568人に1人が死亡)でした。
しかし、2020年に出産10万例あたり2.8人(約3,5714人に1人が死亡)まで低下しました1)。
参考文献1)を元に看護roo!編集部作成
また、お母さんだけでなく、赤ちゃんが亡くなる割合も減っています。
周産期死亡(妊娠22週以降の死産と生後7日未満の新生児死亡を合わせたもの)は、1980年に出産1,000例あたり20.2人(約50人に1人が死亡)でした。
しかし、2020年に3.2人(約312人に1人が死亡)まで低下しています1)。
参考文献1)を元に看護roo!編集部作成
昭和の終わりごろでも、まだ約50人に1人もの赤ちゃんが死産もしくは生まれてすぐに亡くなっていたのですね。
またお母さんに比べると、赤ちゃんが亡くなる確率はとても高くなっています。
胎児や新生児は、大人と比べてまだまだ弱いのです。
それでも現在、お産が安全になった要因としては、衛生面、栄養状態の改善、薬剤の進歩、戦前は自宅出産が主流だったものが、病院や個人産院での出産へシフトしていったことが大きいです。
今の日本は世界最高レベルで安全にお産ができる国
では、諸外国の周産期の安全性はどのようなものでしょうか。
国連人口基金(UNFPA)による2024年の世界人口白書によれば、1995年以来、世界の妊産婦死亡は34%減少しましたが、2016年から2020年にかけては横ばいだそうです。
2020年の世界全体の妊産婦死亡率は、10万出産あたり223人でした2~4)。
各国の妊産婦死亡率は次の通りです。
後発開発途上国では、先進国の約30倍の確率で妊産婦が死亡しているのです。
世界の中でも妊産婦死亡率が高い国は、以下のようになっており、アフリカと中央アジアで高くなっています2)。
◯南スーダン共和国:1,223人
◯チャド共和国:1,063人
◯ナイジェリア:1,047人
◯ギニアビサウ共和国:725人
◯リベリア共和国:652人
◯ソマリア連邦共和国:621人
◯アフガニスタン:620人
一方、先進国の中でも差はあります。
以下のグラフは2020年の主な先進国の妊産婦死亡率と周産期死亡率ですが、アメリカでは妊産婦死亡率が他の先進国より高くなっており、フランスでは周産期死亡率が他の先進国より高くなっています(理由は定かではありません)。
参考文献5)を元に看護roo!編集部作成
参考文献5)を元に看護roo!編集部作成
いずれのグラフを見ても、日本は先進国の中でもトップレベルに死亡率が低いことが分かります。
お母さんにとっても赤ちゃんにとっても、日本は世界最高レベルで安全にお産ができる国だと言っていいでしょう。
これには、次のような理由が挙げられます。
- 平和で安全な国である
- 水資源が豊かで、衛生的で感染症も少ない
- 栄養面が充実している
- 都市インフラが整っていて、救急車など搬送の仕組みが充実している
- 各周産期医療施設が24時間365日、急変に備えて体制を整え、互いに連携している
今後、安全なお産が当たり前ではなくなるかも?
わが国で、多くの人が身近な人がお産で亡くなるという経験をせずにすんでいるのは、世界の中でも稀有なことですし、これがいつまでも続くという保証はありません。
危機的な少子化が問題となっている現在、出産を取り巻く医療制度や、地域の周産期医療体制をどう維持していくか、その財源など、この数年で国全体を巻き込んだ論争と改革(もしくは改悪)が否が応でも進んでいくことでしょう。
その際に、出産にはそもそも母子ともにリスクがあること、今のお産の安全さは当たり前ではない、多くの医療従事者や関係者の使命感と労力の賜物であることを忘れずに議論してもらえるといいなと思います。
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参考文献
- 1)日本産婦人科医会.【第1回】1.我が国の周産期医療の現状.(2024年5 月閲覧)
- 2)UNFPA.Sexual and reproductive health.State of World Population report 2024.2024,134.(2024年5 月閲覧)
- 3)United Nations.Office of the High Representative for the Least Developed Countries, Landlocked Developing Countries and Small Island Developing States.(2024年5 月閲覧)
- 4)外務省.後発開発途上国(LDC:Least Developed Country).(2024年5 月閲覧)
- 5)母子保健の主なる統計 令和6年刊行.母子衛生研究会.2024.p.109-110.
丸の内の森レディースクリニック院長宋美玄(ソン・ミヒョン)
産婦人科医 医学博士、丸の内の森レディースクリニック院長。
1976年兵庫県神戸市生まれ、大阪大学医学部医学科卒。2010年に出版した『女医が教える本当に気持ちいいセックス』がシリーズ累計70万部突破の大ヒットとなり、各メディアから大きな注目を集め、以後、妊娠出産に関わる多くの著書を出版。“カリスマ産婦人科医”としてメディア出演、医療監修等、女性のカラダの悩み、妊娠出産、セックスや女性の性など積極的な啓蒙活動を行っている。2児の母。
編集:宮本諒介(看護roo!編集部)
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