復職看護師に聞く!離職~復帰ロード|10年のブランクを埋めた、人の縁
看護師資格を取得して22年の小宮光代さん(仮名・43歳)は、宮城県仙台市にあるA医院に勤務しています。30歳のとき、妊娠を機に看護師を辞め、以後10年間は家事・育児に専念していました。今から3年前、40歳のときに復職し、二児の母として家の事もこなしつつ、看護師として働いています。
10年のブランクを超えての復職を支えたのは、長きに渡り続いてきた勤務先のスタッフとの縁、そして、師長による親身な教育指導でした。
母と看護師を両立する小宮さん。業務でお忙しい中、インタビューに応じてくださいました。
妊娠を機に離職し、子育てに専念
小宮さんが離職を決意したときには、復職をまったく考えていなかったといいます。
「出産に対して不安があり、『辞めるしかない』と思って辞めました。出産後も、子育てをしている自分に全然自信がなくて毎日が精一杯だったので、それにプラスして仕事を、なんてとても考えられなかったんです。子どもが病気がちでしたし。2人目が生まれて、ますます仕事どころじゃなくなりました。今にして思えば、子どもを預けて働くこともできたと思うんですけど、そのときはもう『私がこの子たちの面倒を見なきゃどうするんだ、私しかいない』と思ってたんです」
辞めてすぐの頃は、医療や看護の雑誌を読んだりもしていましたが、1~2年経つとそれもなくなり、育児に関する本ばかり読むようになりました。
「一度辞めると、看護師の仕事は敷居が高くなるというか……。復帰なんて怖くて無理だし、もう看護師として働くことは生涯無いだろうなと思ってました」
復職のきっかけは師長からの声がけ
小宮さんが勤務しているA医院は、仙台に古くからある診療所です。現在のスタッフは、院長以下、看護師が5名、医療事務員が5名。小宮さんは離職する以前にも、3年近く同医院で働いていました。
離職した後は、子どもを診てもらうために患者として来院していたといいます。
「勤めていた期間よりも、患者の親として来ていたほうがずっと長くなったんです。当時は子育てにいっぱいいっぱいで、『子どもがまた熱出しました』なんて言って、泣きながら先生のところへ診察に来たりしていました。そのたびに先生は『大丈夫大丈夫』って言ってくれて。患者にとっては、先生は神様みたいな存在ですね。どれだけ助けられたかと思います。師長さんにもとてもお世話になって、夢枕に出てきたこともあります」
専業主婦だった期間は育児に専念していた小宮さん。上の子どもが小学校に上がってからは、PTA活動の役員を引き受けたりと忙しくしていたそうです。
そうして離職から9年が経った頃、A医院の師長から、復職しないかと声をかけられました。そのときは下の子がまだ幼稚園で、病気がちだったこともあり、ご主人にも反対され辞退という結論に至ります。しかし、次の年にまた同じように師長から誘われ、ついに復職を決意しました。
「初めは看護師として、後からは患者の親として通い続けた不思議な縁があったからこそ、師長さんに声をかけられて、今の看護師としての自分があります。誘われた当初は『絶対無理です』って言ったんですけど、師長さんが『ちゃんと一から全部教えてあげるから大丈夫』って言ってくださって……。誘われたのがこの医院でなければ、復帰することはなかった思います。子どもが2人とも小学生になって、手がかからなくなってきていたので、夫も『また声をかけてくださるんだったら、ずっと通っていてよく知っているところだし、やってみたら』と言ってくれました」
長らく患者の家族として通っていた小児科で、再び白衣に袖を通しました。
ブランクを乗り越えて
10年のブランクを経て看護師に戻った小宮さんですが、復職した直後はやはりとても苦労をされたとか。
「職場に戻ったとき、以前とは何もかもが変わっていました。薬も予防注射も変わっていましたし、迅速検査が格段に進歩してました。細かいところでは、検査値のGOTやGPTなんて言ってたものがASTやALTというように、略語も変わっていたり。ちょっとしたことすらついていけないところがあって、『大丈夫かな』って心配になりました」
そんな浦島太郎状態の小宮さんを支えたのは、彼女に復帰を勧めた師長でした。師長は、『一から全部教えてあげるから』という言葉通りに、ブランク明けの小宮さんが仕事をしていけるように、徹底的に教育指導をされたそうです。
「最初、復職することが自分自身でも信じられなくて、師長さんに『使い物にならなかったら言ってください。すぐにでも辞めますから』って言ってたんですが、師長さんが側についてくれて、手取り足取り教えてもらえたおかげで、何とか今日まで看護師を続けています。ほかのスタッフの方もみんなすごくレベルが高くて、いっぱい教えていただきました。看護師の復職の際にはいろんな壁があると思いますけど、やっぱり技術と知識がついていけないというのが大きいと思います。家族の協力がどうとかよりも、教育がなければ復職は無理だと思いますね」
もちろん、師長やほかのスタッフに頼りきりではなく、日進月歩で変化していく看護の現場に対応するため、自身でも努力を重ねているといいます。
「医療や看護の知識は、びっくりするほどいろいろ変わるので、常にノートを持ち歩いてまとめたりして、間違いのないようにしています。作業にしても言動にしても、命に関わることなので、気軽な気持ちでは働いていません。今でも全然ほかのスタッフの皆さんには追いついていなくて、ご迷惑ばかりおかけしているので、まだまだ頑張らなくちゃいけないと思ってます」
気になる点はとにかくすべてメモ。確かなケアを提供するため、日々の積み重ねを大切にしています。
復職後のやりがいと変化
小宮さんは、復職後のやりがいについて、次のように語ってくれました。
「専業主婦のときは、よく言われるように『誰にも評価されないで、やって当たり前』でした。もちろん、評価されるためにやるわけでもありませんけどね。それに対して、自分で働いてお給料という対価をいただくと、評価されていると思えて、ただただ素直に嬉しいです。また、『人の役に立ってるかもしれない』というだけで、働いている喜びで満たされます。一度離職する前よりも、期間が空いた分、働く喜びは大きいかもしれません」
また、子育てを経験したことで、以前よりも患者さんの生活背景をイメージしやすくなったといいます。
「子育てをしていようがいまいが、患者さんやご家族の気持ちを汲み取るのは、看護師として必要ですし、そうした部分は以前からそんなに変わりません。ただ、自分が子育てをしたことで、目の前の患者さんとご家族を見るだけじゃなく、生活背景をイメージしやすくなりました。病気の子を見ている間、その子の兄弟の世話をどうするとか、働いているお母さんのご都合とか。そうした部分にも”ちょっぴり”配慮して働けているかな?と思います。師長さんと比べればまだまだですが」
必要とされる限りは働きたい
復職して3年が経った小宮さん。今後についてはどのような目標を持っているのでしょうか。
「毎日が精一杯で、あまり大きな計画はありませんが、仕事は続けていきたいです。仕事に来ると、自分の中でアドレナリンとかドーパミンが出まくってるのをすごく感じます。私はこの職場でなかったら勤めていられなかったと思いますし、復帰することもなかったと思いますので、職場から『働いてていいよ』と言われる間は働きたいです」
ついていくだけで精一杯と言いつつも、仕事を続けていくことに前向きな小宮さん。
人に必要とされ、必要としてくれる人たちのために働けるというのは、とても素敵なことですね。
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