高山病患者を助ける雲の上の診療所 富士山衛生センターのお仕事
毎年、夏になると多くの登山者が訪れる富士山。
2013年には世界遺産にも登録され、いっそう注目を集めるようになりました。
標高が高く環境が厳しい富士山では、体調を崩す登山者も少なからず出てきます。
そうした方のための診療所が、富士山八合目にある「富士山衛生センター」。
ここでは、毎年7月下旬からの約1カ月間、医師と医学生の2人が1組となり、何組かが交代しながら常駐して、24時間無料で診療を行っています。
今回は同診療所で診療を終えたばかりの、浜松医科大学附属病院第三内科の医師、佐藤照盛先生にお話を伺いました。
標高3,250mの診療所
富士山衛生センターは、表富士を登る富士宮ルートの八合目•標高3,250mに位置し、日本で最も高い場所にある診療所です。
絶壁に建つ診療所。浜松医科大学から若手医師と医学生が派遣される
「診療所は八合目の山小屋(池田館)に併設されています。2階に入り口があり、入ってすぐが診察室。1階は寝室とリビングのような部屋になっています」
基本的には診察室で待機していて、患者さんが来たら対応するそうです。
診察室は六畳と二畳の小さい部屋に、ベッドが1つずつ
「私がいた4日間で、患者さんが30人来ました。平日だったせいか、ちょっと少なかったみたいです。ほとんどが高山病ですね。怪我で来た人は30人中1人。それもちょっとした擦り傷です。骨を折るとか靭帯を切るとか、そういう大きな外傷はありませんでした」
過去の事例を見ても、訪れる患者の多くは低酸素による高山病。
そのため、診療所での処置はそれに即したものが中心になります。
「大体の場合、まず酸素を測って、酸素ボンベを使って酸素を吸ってもらうことになります。低酸素に伴って、気持ち悪い•頭痛がするといった症状が出ているので、通常は酸素濃度を一時的に上げてあげれば症状は良くなるんです。そのため、軽症の人は座らせて深呼吸をしながら酸素を吸ってもらいます。個人差はありますが、だいたい10分20分も吸っていれば楽になってくるものです。人によっては少し横になって安静にしてもらい、あまりに症状が遷延する人には、痛み止めや吐き気止めも用意していますので、そういう薬を使うこともあります。点滴もありますが、そこまでするのはよほどのケースですね」
診療所は24時間体制。患者が来れば深夜でも対応
診療所には、抗生物質やステロイド系の薬物、外科の縫合セット、AEDなど、さまざまな医療器具が備えられており、高山病以外にも一通りの治療はできるようになっているといいます。
ただ、心電図や超音波などの検査機器はないため、酸素や血圧等の測定と、問診や聴診、触診しかできません。そのため、もし大きな病気が疑われるようなことがあっても、診断は難しいのが実情です。そのような病気が疑われる場合は、物資搬送用のブルドーザーに乗せてもらうなどして、下山してもらうしかないそうです。
山小屋へ物資を運ぶブルドーザー。医師が診療所へ行く際はこれに乗る
ちなみに、患者が多かったのは日付が変わる頃と、朝の7〜8時頃。前者は、隣の山小屋に宿泊していて、山頂でご来光を見るため出発する前に体調に不安を感じた人。後者は、山頂でご来光を見て下りて来た人が多かったといいます。
「体のことを考えると、登りで体調を崩した人には『もう登るな』って言いたいんですよ。でもやっぱりねえ、『八合目まで来たら頂上まで行きたい』っていう人が多いんで、強くは言えないんですよね。『無理しちゃダメだよ』っていう話をしたり、薬を持たせたりはするんですけど。最終的には自己責任で行ってもらうしかないんですが、本当は医師としては止めるべきかもしれません」
と、佐藤先生。
以前より登る人が増えたとはいえ、富士登山は一人ひとりの登山者にとって一大イベント。並々ならぬ熱意を持って臨んでいる人たちには、なかなかドクターストップをかけづらいのかもしれません。
さまざまな表情を見せる富士
周囲に山がない独立峰で、天候が非常に移ろいやすい富士山。
八合目の診療所からは、そのときどきでさまざまな景色を見ることができます。
一面に白雲がかかり、まるで飛行機からの眺めのよう
晴れの日は遠方の夜景がまばゆく映える
診療所から見るご来光
白雲にかかる影富士
「診療所でびっくりしたのは、気温のアップダウンが激しいんですよ。夜は外が零度近くになってるんですが、あいにく石油ストーブが壊れていて、カセットコンロのヒーターしか使えなかったんで、すごくつらかったです。それが朝の7時半とかになると、もうカンカン照りで、半袖になってもいいかなと思えちゃうぐらいの陽気に変わります。極端なんですよね」
山小屋にはブルドーザーで運ばれた物資が置かれており、滞在中はそれらを使って生活することになります。富士山には水源がないため、飲料はもちろん、生活用水もすべて物資として運ばれてきたものです。
「食事は1日3回、決まった時間に隣の山小屋から支給されます。主食のほかにスープと、副菜がいろいろついてきます。健康的な食生活を送れたので、とても良かったですね。ただ、すごいがっつり、量がとても多かったです。あと、診療所にはほかの物資と一緒にいろいろなお菓子が運び込まれていて、暇な時間につい食べてしまいがちでした。なので、かえって食事はとり過ぎないように注意してました」
佐藤先生いわく「ハズレがなくおいしかった」という山小屋の食事
登山者を支え続ける医師の伝統
富士山衛生センターの入り口から入ってすぐの壁には、これまでこの場所で診療に携わった、歴代の医師の名前が記されています。
写真に写っていない、手前側の壁2面にも名前がびっしり
「来た人がみんな、『何年何月何日に来ました』と残してるんですよ。知ってる先生の名前がたくさん書いてありましたね。なんかこう、書くことを義務付けられている印象があったんで、僕も小さく書いておきました(笑)」
診療所に来た医師や医学生の中には、せっかく八合目まで来たならばと、山頂まで登る人もいるようです。佐藤先生もそのひとり。
患者が来たらすぐ戻れるように、診療所に医学生を残し、携帯を持っての登頂です。
「実は僕、中学生のときに一度、富士山に登ってるんですよ。そのときは高山病になって、7合目でダウンしました。でも、一緒に行った友だちや年の離れた弟は山頂まで登れたんですよ。自分だけ登れなかったという屈辱感があったので、いつか登ってやりたいと思ってたんです。だから今回、絶対に頂上は行こうと決めてました」
山頂にて。「苦い青春時代の思い出を克服できて、すごく嬉しかった」と佐藤先生
診療所で唯一できなかったこと
念願の富士山頂への到達も果たし、4日間の診療を終えて帰還した佐藤先生。
”下山して最初にやったことは何ですか?”という質問に対しては、「麓の温泉で4日ぶりの風呂に入りました」とのこと。
「診療所にいる間、帰ってまず何がしたかったって、風呂に入りたかったです。汗はあんまりかかなかったですし、水なしのシャンプーも持って行きましたけど、やっぱり頭が気持ち悪くなるんですよね。いやー、4日ぶりの風呂は気持ち良かったですよ」
眺めを堪能し、おいしい料理も食べられた富士山中でも、お風呂だけはどうにもならなかった模様。下山後の温泉は最高のご褒美ですね。
2014年の富士山衛生センター開設期間は、7月25日から8月18日まで。
富士山にはこのほかにも、山梨県側から登る吉田ルートに3つの救護所があり、異なる病院から医療スタッフが派遣されています。
数多くの登山者が富士山に挑戦できるのも、こうしたたくさんのスタッフの支援があってこそといえるでしょう。
<取材協力>
浜松医科大学附属病院第三内科 佐藤照盛先生
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