助産師×プロボクサー!富樫直美さん【2】|憧れナースに会ってきた!

前回まで―

 

ダイエットのため、と始めたボクシングで才能を開花させ、プロボクサー助産師となった富樫さん。

二束のわらじとはよく言いますが、そのわらじ、両足ともかなり重いはずです。両立の秘訣はあったのでしょうか。

 


富樫直美さん NTT東日本関東病院 産婦人科

1975年生まれ。助産師11年目。NTT東日本関東病院に勤務するかたわら、女子プロボクサーとして活躍。2008年から2012年までWBC女子世界ライトフライ級チャンピオン。7回防衛。2012年9月、プロ引退。著書に『走れ!助産師ボクサー』(NTT出版)がある。


 

■分刻みのスケジュール

実際助産師として病院に勤務しながら、プロボクサーとしてトレーニングや試合に行くなんて・・・どうやって両立しているか、もはや想像するのも難しいくらい高いハードルに思えます。

 

「たしかに、大変でしたよ。日勤は8時開始なので、毎朝6時~7時まで10km弱ランニングして、病棟に行って18時まで勤務。そのあとまたトレーニングして、帰って洗濯して寝ると1時くらい。それが毎日。うちの病院は3交代なので、そこに準夜・深夜勤務も入ります。

 

私はマスコミ対応も自分でやるので、チャンピオンになってからは、分刻みでスケジュールが入ってきてましたね。

普通にボクシングだけやってる人だったら、ボクシング以外の時間で体を休める時間があるんだけど、私はこういう勤務なので、それがなかった。

 

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■病棟のみんなのおかげです

「病棟のみんなの協力がなかったら両立はできてなかったでしょうね。試合のときにはシフトを融通してくれたり、応援に来てくれたり。

メキシコでの試合に同期が自腹を切って来てくれたときは、正直、私だったらそんなことできるかなあって思いましたよ(笑)」

 

シフトの調整、確かに大変そうですね・・・実際どうやってたんですか?

 

「うちの病院は夜勤の形態が変わってて、『準準入り中明け』っていって、準夜を連続2回やって1日あけて、更に深夜を2回やるんです。だから、1週間やって1週間あいて、っていう感じ。

お産が続く日はすごく大変なんですけど、予定を立てやすいんです。

その中で普通に『ここ休みあげるから、ここはちょうだい』っていう休みの貸し借りをしてました。もちろん、私も試合がないときはいつでも代わります。ほんと、人間関係で成り立ってたと思います」

 

人間関係のいい職場って、言葉ではかんたんに聞こえますが、それを実現できている病棟がいかに貴重かは、ナースなら誰しも実感できることなのではないでしょうか。

 

周りの方々の人柄や相性ももちろんあるでしょうが、同僚の協力は、富樫さんご自身の人柄やがんばりがあったからこそ。その職場の仲間との絆が言葉の端々から伝わってきます。

 

著書『走れ!助産師ボクサー』の挿絵は、実は後輩が描いてくれたものなんだとか。 

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「これ、似てますよね(笑)こうやって応援してくれるのは本当に力になります。

なんでこんなに?って思うけど、みんな『応援したいからしてるだけ』って言うんです。

 

たぶん、私が全力だからなのかなと思います。一生懸命やってる人って応援したくなるじゃないですか。全力でがんばってることが伝われば、周りの人は協力してくれるんですよきっと」

 

■ボクシングをやりきるために

同僚の協力があるとはいえ、ハードスケジュールの毎日。助産師かボクサーか、どちらかひとつを選ぼうと思ったことはなかったのでしょうか。

 

「どちらかだけを、と思ったことはないですね。どちらも好きでやってることだから。

 

ただ、分岐点はありました。

助産師としては、自然なお産をやりたい気持ちがあって。30くらいのときに、今の病院を辞めて、アクティブバースとか、自然なお産をやっているところで勉強したいなと思って、病院の資料を取り寄せたりもしました。

でもその頃、ちょうどボクシングで日本一になって・・・

 

その病院に行けば、もっと深く妊婦さんと関わることになるし、休みも減る。助産師のことしかできなくなる。

すごく迷ったけど、今の病院に残って両立することを選んだんです。そっちに行ってたら、まったく違う人生だったと思いますね」

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ボクシングで高みを目指すために、助産師としてのやりたいことは少し我慢。それくらいボクシングに全力投球できたのは、プロになった31歳から、選手としての寿命、つまりボクシングができるリミットを意識していたからでした。

 

「一応選手制限は37歳となってますけど、自分で選手寿命ってわかるので。いつ負けて引退ってなっても、後悔しないように準備しておこうって思ってました。」

 

後悔しないように、常に全力でやりきる。その意識を目の当たりにしたからこそ、同僚をはじめ周囲の人は、心から協力したいと思ったのではないでしょうか。

 

「今はボクシングに出会えた人生でよかったなって思ってます。いろんな人に出会えて、ただのボクシングファンの助産師だったらわからないこともたくさんわかったし。いい経験でした」

 

最終回へつづく―

 


【助産師×ボクサー!富樫直美さんインタビュー】

Vol.1 代名詞は『戦う助産師』

Vol.2 助産師とボクサー、両立のヒケツとは?

Vol.3 プロフェッショナルとして、富樫直美として


 

【憧れナースに会ってきた!他の記事】

ナース×絵本作家×ギャル!?阪倉友弥さん

 

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