認知症の脳でも音楽は認識できる―音楽療法の患者・家族への効果
音楽のあるホスピスから
Vol.3 音楽療法は記憶の扉を開けるカギ
有名な神経学者、オリバーサックス博士は認知症と音楽の関係についてこう語っています。
「彼らにとって音楽は贅沢ではなく、必要不可欠なものだ。音楽は他の何よりも彼らを回復させる力がある」
完全な治療法がないと言われている認知症ですが、音楽療法は彼らとその家族の希望として注目を集めています。
認知症でも記憶に残り続ける歌
昨年の暮、在宅ケアを受けている認知症の女性患者を訪問したときのことです。その日はインフルエンザの予防接種の日でしたが、彼女は何度も会ったことがある私のことも同行した看護師のことも覚えていませんでした。
「何がなんだかわからない!」
不安と混乱で、普通の会話ができる状態ではありません。注射をする際も「痛い!」と叫び、腕を振り払おうと暴れました。そこで、私は彼女の好きな「浜辺のうた」を歌いました。すると彼女も一緒に歌いはじめ、穏やかな表情で2番の歌詞も続けて歌っていたのが印象的でした。
普段は言葉を見つけるのに苦労する彼女が、落ち着いた様子ですらすら歌えたのはなぜでしょう?
思考力は衰えても感情はある
認知症の人は、思考能力は衰えても感情は残っています。自分がどこにいるか、周りの人が誰なのか、何を質問されたのか理解することができないかもしれません。でも、ひとりだから寂しい、知らない人に触られて恐い、話ができないからイライラする、という感情は存在します。
この女性患者は私たちが誰なのか、何をしに来たのかもわかりませんでした。だから不安になり、恐かったのでしょう。
「浜辺のうた」を聞いた瞬間に、彼女の表情が変わりました。混乱や不安の中で、馴染み深い歌を聞いたことで安心したのです。そして、注射ではなく歌に集中することで、痛みの感覚が和らいだのでしょう。
「浜辺のうた」は湘南で生まれ育った彼女にとって特別な1曲でした。
脳と音楽の関係
近年、脳スキャンによって音楽と脳の関係が少しずつ明らかになってきました。中でも重要な発見が、「音楽は脳のさまざまな部分に働きかける」ということです。だからこそ、失語症で言葉が話せない人が歌を歌えたり、脳外傷のある人が、音楽療法によって話ができるようになったりするのです。
また、アルツハイマー型認知症で脳にダメージがあっても、馴染みのある音楽を認識する部分は、比較的その影響を受けていないことも分かっています。
末期の認知症の人でも同じように、馴染み深い曲や歴史的な出来事と関係するような音楽に大きく反応を示す場合もあります。
認知症に対する音楽療法の効果
認定音楽療法士は、患者のニーズに合わせて音楽や活動内容も選択します。音楽を聴くだけではなく、歌ったり、楽器を弾いたり、体を動かしたりもします。
音楽療法が認知症の治療に効果的であることは、さまざまな研究結果から分かっています。具体的には、下記の効果があげられます。
・うつ状態を軽減する
・言語力や記憶力の改善をサポートする
・社会性を高める
・攻撃的な行動を軽減させる
・身体の痛みをやわらげる
認知症患者と家族の関係を取り戻す
認知症で大切な人を失うことを「ロング・グッバイ(長いさようなら)」と言います。認知症は長年にわたる病気で、発病から死まで10年近くかかることも珍しくありません。家族は、その間少しずつ「さようなら」をしなければいけません。大切な人の体はまだそこにあっても、その人のあらゆる部分は失われていくからです。また、長年介護をしていると家族の関係が変化していきます。夫婦や親子の関係が「介護する人」と「介護される人」になってしまうのです。
音楽療法のセッションを通じて、少しのあいだでも、本来の家族の関係を取り戻すことができます。それがご家族の心のケアにもつながるのです。
父娘の関係を取り戻す「音楽」という希望
アメリカの老人ホームで、実際に行った音楽療法の動画をご覧ください。
Posted by ラスト・ソング - Last Song on 2014年12月10日
患者さんは、95歳で末期のアルツハイマー型認知症を患っていました。普段は目を閉じてうつむき、車椅子に座ってじっとしているだけの彼が、 目を開けて音楽に反応します。
彼の娘さんは、衰えゆく父親の姿を見ることに、日々つらい思いをしていました。娘さんはミュージシャンだったので、音楽療法で2人のつながりを取り戻すことができないかと考え、彼女にセッションをリードしてもらうことにしました。
これは音楽療法によって、患者さんとご家族が有意義な時間を過ごすことができるという例です。
認知症の人が増えていく社会で、音楽療法は期待される治療法です。介護するご家族のためにも、今後多くの医療機関で音楽療法が導入されていくことを願います。
【佐藤由美子】
ホスピス緩和ケアを専門とする米国認定音楽療法士。バージニア州立ラッドフォード大学大学院音楽科を卒業後、オハイオ州シンシナティのホスピスで10年間音楽療法を実践。2013年に帰国。帰国後は青森県在住。15年からは青森慈恵会病院の緩和ケア病棟で音楽療法士として働いている。著書に『ラスト・ソング』(ポプラ社)がある。ハフィントンポスト(日本版)でBlog「佐藤由美子の音楽療法日記」を掲載中。
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