紛争地・南スーダンの手術室の「日常」とは―国境なき医師団ナースリレーコラム【1】
世界各国で医療・人道援助活動を行う『国境なき医師団(MSF)』では、日本人看護師も多く活躍しています。
看護師さんの多くにとっては、「きっとスゴいナースなんだろうな…」と遠く感じるかもしれませんが、彼女たちも同じ『日本人看護師』です。
ニュースではわからない、『国境なき医師団ナース』の日常や暮らしをレポートするリレーコラムがスタートします。
国境なき医師団ナースリレーコラム
Vol.1 紛争地・南スーダンの手術室の「日常」とは
【筆者】手術室看護師 土井直恵
真冬の日本で着ていたダウンジャケットはアフリカ到着とともに「荷物」と化し、バックパックに詰めようとした試行錯誤も空しく、私の左腕にかさばってタラップが上り辛い。
2014年2月、国境なき医師団(MSF)での3度目の派遣地、南スーダン・ランキエンへ向かうため、私は首都ジュバから大量の医薬品と共にプロペラ機に乗り込んだ。
居眠りしながらナイル川を渡る
離陸して5分もたたないうちに眼下の建物は姿を消し、見渡す限り緑一色に覆われた。
幾重にも分岐したり、一つの大きな奔流になったりしながら、うねうねと、まるで自由に走っているかのように見える川を興味深げに見つめていると、パイロットが「ホワイトナイルだ」と教えてくれた。
ここから遥か北で、エチオピアから流れてくるブルーナイルと合流してナイル川になる。
昨晩オフィスで目にした地図を思い起こす。
ぼんやりと窓の外を眺めているうちに、いつの間にか私は眠ってしまった。
日本を出て、移動と休憩を繰り返し、すでに3日が経っていた。
私が国境なき医師団の活動に参加するのは3回目。
学生の時分より海外へ出かけることが好きで、長期休みの度にバックパックを背負って出かけていた。看護師となり、一般病院の手術室で勤務した後、1年間留学を経験し、2012年に初めて国境なき医師団の活動に加わった。
学生時代に西アフリカの村々を訪れたことはあったけれど、いったいどんな生活が待ち受けているのか。ランキエンへ向かう道すがら、派遣のたびに毎回やってくる高揚感がやっぱり今度も私を包む。
母が地図で見つけられない場所へ
操縦席の機械音で目を覚ますと、どんどん高度が下がり、いよいよランキエン上空に差し掛かる。
出発前に「あなたが行くというランキエンというところ、インターネットの地図でどんなに拡大しても、出てこない」と不満げに話していた母の話もうなずける。
本当に、小さな集落だった。
見慣れないアジア人に興味津々の大勢の子どもたちに囲まれながら歩いて行くと、病院と住居が隣り合わせになった囲いがあった。
足を踏み入れるとちょうどお昼どきで、自己紹介をしながらランチの輪に加わる。
食べ終わるか終らないかのうちに、先ほどプログラムの責任者だと名乗った女性が、もうすぐ飛行機で十数人の戦闘による負傷者が運ばれてくることを私に告げた。
そのまま、外科チームはトリアージのセッティングに取り掛かり、その日は夜中の2時まで手術が続いた。
私のこの度の海外派遣は、こんな幕開けだった。
戦闘の負傷者、熱帯の熱病患者、それから…
南スーダンは、政府軍(ディンカ族)と反政府軍(ヌエル族)の対立による民族紛争下にある。前線では銃弾が飛び交い、街中でも銃の音が聞こえてくる。もう何年もこんな状態が「日常」なのだ。
国境なき医師団が運営するランキエンの病院は総合病院で、それほど戦闘が激しくない地域にある。
前線から負傷者の受け入れを行っていたが、内戦の激化に伴い、他の国内のプログラムが次々に閉鎖へと追い込まれた。そのせいで、一時はランキエンのプログラムが国内唯一の外科チームのあるプログラムとなり、1日に何十人も患者を受け入れることがあった。
いつ、どんな患者さんがくるか分からない状況であるため、スケジュールはあってないようなもの。その場その場で優先順位をつけて順番に手術を行う。
受診理由は多岐にわたり、銃弾による負傷を筆頭に、結核、腸チフス、破傷風や熱帯性の潰瘍など、日本で見たこともない熱帯地域特有の症例がほとんどだった。
病院へやってくる患者さんは飛行機で搬送されてくる人のほか、近所の住人や遠方から何日もかけて歩いてくる人、あるいは家族に担がれてくる人もいた。
ある日、私は飛行機で運ばれてきたニャパールという10歳の小さな女の子に出会った。
骨と皮の少女が病院の人気者だったワケ
もともと彼女は虫垂炎の手術をどこかで受けた後、この病院へやってきた。栄養食を摂取しながらとにかく体力をつけようとしていたが、頬は痩せこけ、骨と皮ばかりの手足はひょろりと長く、1~2ヶ月もの間起き上がることさえ難しいほど激しく衰弱していた。
それでも、ニャパールは外科で働くスタッフの人気者だ。
大変な状況にあっても、ニャパールはベッドサイドを訪れるスタッフの声掛けにいつも精一杯の笑顔で応えてくれる。滞在期間の短い海外派遣外科医や麻酔科医は1ヶ月で入れ替わることもあったが、それでも彼女は、常に皆のお気に入りの患者であり続けた。
少女の奇跡。アフリカの病院看護師としてのスタート
ある時、創部からの排膿が続いたため、検査をしてみると腸結核であることが分かった。瘻孔形成、あるいはストマのような形になっていたと推測され、再度手術をすることになった。
正直、回復は諦めそうになっていた。
ニャパールの腕の細さを見ると、手術に耐えられるだけの十分な体力や免疫が十分に備わっていないことは明らかだったのだ。
でも、術後の回復は誰一人予想だにしなかったほど、目覚ましいものだった。
週に2度の体重測定の結果を聞くのは私の楽しみとなり、右肩上がりにぐんぐん増えて行った。
グラフを見なくとも、彼女のほっぺたは日に日に可愛らしいぷくぷくしたものになっていくのが見てとれたし、ゆっくりとではあるが、ベッドから降りて少しずつ歩き出すようになり、やがて仕事中の私にちょっかいを出すまでになった。
私が年末に日本に帰国した2週間後、彼女が退院したことを知らせるメールが同僚から届いた。
幼い子供に限らず、大人であっても栄養状態が悪いせいで命を落としてしまうケースをたくさん見ていた状況の中で、ニャパールの回復は私たちの希望の象徴となった。
こうして、異文化の南スーダンでの10ヶ月が始まった。
それは、事のなりゆきが予測不可能なハラハラドキドキの連続だった。
【筆者】土井直恵(どい・なおえ)
大阪府出身、看護師。
2008年、兵庫県立大学看護学部卒業。大阪府内の総合病院での手術室勤務をへて、2012年より国境なき医師団(MSF)の活動に参加。2012年にパレスチナ・ガザ地区、2013年にイラクへ派遣。2014年には約10ヵ月間、南スーダンへ派遣された。1984年10月15日生まれ。
【協力】国境なき医師団 日本
国境なき医師団(Médecins Sans Frontières=MSF)は、 中立・独立・公平な立場で医療・人道援助活動を行う民間・非営利の国際団体です。MSFの活動は、緊急性の高い医療ニーズに応えることを目的としています。紛争や自然災害の被害者や、貧困などさまざまな理由で保健医療サービスを受けられない人びとなど、その対象は多岐にわたります。
MSFでは、活動地へ派遣するスタッフの募集も通年で行っています。
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