看護理論の歴史

『新訂版 実践に生かす看護理論19 第2版』(サイオ出版)より転載。
今回は看護理論の歴史について、1880年代から1990年代まで、年代別に解説します。

 

城ヶ端初子
聖泉大学大学院看護学研究科 教授

 

 

1880年代の看護理論

看護における看護理論の開発の歴史は、1880年代におけるナイチンゲールにまでさかのぼる。

 

彼女は、その著書『Notes on Nursing』(看護覚え書)で患者を取り巻く環境を変化させることによって、健康回復のためにいい状態をつくり出す点に焦点をあて、看護理論を構築した。

 

これは、最初の看護理論といわれ、その後の看護理論の基礎になった。

 

 

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1950年代の看護理論

この年代になると、「看護管理者や教員になるためには大学院教育が必要である」と考えられるようになる。

 

コロンビア大学ティチャーズ・カレッジでは、それに応えるために看護教育・管理の大学院修士課程・博士課程を開設した。この教育課程の卒業生には、ペプロウやヘンダーソン、アブデラなどがいる。彼女たちによって、看護理論の開発がなされた。

 

1952年には、看護の専門誌『Nursing Research』が発刊された。これをきっかけに、看護研究や看護関係の理論書の出版が始まった。

 

また、看護職が専門性を磨き、科学的研究にも積極的に取り組み始めたのも、この時代である。その結果、看護実践に関する多くの考えが発展し、さまざまな理論も開発された。

 

1952年には、ペプロウが『Interpersonal Relations in Nursing』(看護における人間関係)を発表する。その理論は「人間関係の看護論」とよばれ、後の看護理論の開発や研究に影響を及ぼした。

 

また、ヘンダーソンはベルタ・ハーマー(Bertha Harmer)が書いた1939年の教科書『Textbook of the Principles and Practice of Nursing』の第4版を改訂し、1955年に第5版を出版した。ヘンダーソンは、このなかで「看護の定義」を発表した。

 

 

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1960年代の看護理論

この年代になると看護の博士課程プログラムが確立し、看護のリーダーたちは看護理論の開発に向けて検討をし始める。

 

伝統的な看護の観点から、考え方や視点、方法などについて論議するようになっていった。

 

そして看護理論は、看護師の機能的な役割を中心にしたものから、患者─看護師関係を中心にする方向に変化していった。

 

コネチカット州ニューヘヴンにあるエール大学看護学部では、ヘンダーソン、オーランド、ウィーデンバックが、教員として大学における看護理論の位置に影響を与えた。3人は、ともにコロンビア大学ティーチャーズ・カレッジの卒業生である。

 

エール大学では、看護を結果ではなく過程のなかでみていくことを特徴にしていた。オーランドやウィーデンバックといったエール大学の看護理論家たちは、次々に理論を発表した。

 

1960年にはアブデラが、『Twenty-One Nursing Problems』(邦訳:21の看護問題)を発表した。

 

翌年、オーランドは『The Dynamics Nurse-Patient Relationship:Function,Process,and Principles of Professional Nursing』(邦訳:看護の探求、ダイナミックな人間関係をもとにした方法)で、自分の看護の考えを発表した。これがオーランドの看護理論の基礎になった。

 

1964年、ウィーデンバックは『Clinical Nursing:A Helping Art』(邦訳『臨床看護:援助の技術』)で自説を発表した。さらに、1969年にドロシー・E.ジョンソン(Dorothy E.Johnson)が、『Behavioral Systems Model』(邦訳:行動システム・モデル)を発表した。

 

看護教育者の育成のため、看護学の修士課程や博士課程に対して、アメリカ連邦政府から助成金が提供されるようになったのも、1960年代である。これらの過程で教育を受けた人々が、看護理論の発展に大きな影響を与えた。

 

 

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1970年代の看護理論

1970年代は、クリーヴランドにあるケース・ウエスタン・リバース大学が、看護理論の発展を促すためにシンポジウムを企画し、成果を得ている。

 

また、この時代の特徴の1つは、新しい看護理論が多く発表された点である(表1)。

 

表11970年代に発表された看護理論

1970年代に発表された看護理論の表。

 

1970年代の終わり頃になると、全米で約20あまりの博士課程があり修士課程も学問的に充実したといわれている。すでに修士課程では、看護管理者や看護教育者の育成に焦点をあてるのではなく、看護実践者を育てることが中心になっていた。

 

また当時、博士号をもつ看護師は、2000人を超えていた。大きな前進だといえるだろう。

 

 

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1980年代の看護理論

この年代には、新しい看護理論が発表された(表2)。

 

表21980年代に発表された新しい看護理論

1980年代に発表された新しい看護理論の表。

 

これまでに発表されていた看護理論の多くが改訂されたのも、この年代である。(表3

 

表31980年代に改訂あるいは再版された看護理論(書名)

1980年代に改訂、あるいは再版された看護理論(書名)

 

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1990年代の看護理論

この年代は、看護理論を検証し発展させる研究が多く行われた。

 

パースイの編集による季刊誌『Nursing Science Quarterly』(看護科学)に、看護理論を基盤にした研究成果が発表され、理論の発展に大きな役割を果たしたのは、特筆すべきことだろう。

 

1992年、パースイは自身の理論『Man-living-health』(『健康を─生きる─人間』)を、表題を変更して『Human Becoming』(『人間生成』)とした。

 

また1994年にはマーガレット・ニューマンが、『Health as Expanding Consciousness』(『拡張する意識としての健康』)の第2版を出版し、従来の考えを新しくした。

 

続いて翌年、ニューマンは『Developing Discipline:Selected Works of Margaret Newman』(発展する学問─マーガレット・ニューマン著作集)を出版した。

 

さらに、1995年には、ベティ・ニューマンが、自分の理論である「システムモデル」の新版を発刊している。

 

以上、看護理論に関する事柄、歴史的展望の概念をたどってきた。看護理論を理解するためには、その時代背景やそれぞれの年代の特徴、大きな流れをとらえる必要があると思われる。

 

 

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本連載は株式会社サイオ出版の提供により掲載しています。

 

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[出典] 『新訂版 実践に生かす看護理論19 第2版』 編著/城ヶ端初子/2018年11月刊行/ サイオ出版

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