身近な落とし穴! 患者取り違いで罰金50万円と1か月の業務停止!?
看護師さんにとって、医療事故や医療訴訟は決して他人事ではありません。
医療訴訟になった事例を元に、医療事故の予防・対処方法や、看護師さんが知っておくべき医療に関する法律などについて、やさしく解説します。
自分の身は自分で守れるように、実際の現場をイメージしながら読んでください。
第1話は、「患者さんを取り違えた事例」についてのお話です。
大磯義一郎
(浜松医科大学医学部「医療法学」教室)
新人看護師の愛さんは、オペ出しのために、弁膜症の手術をする患者の田中さんと、肺腫瘍の手術をする患者の木村さんの2人を同時に、病棟から手術室隣の交換ホールに連れて行きました。
患者さんの引き渡しをしたところ、手術室勤務の看護師の杏子さんが、田中さんと木村さんを誤って認識してしまい、2人は取り違えられ、別々の手術が行われてしまいました。
注意:登場人物の名前は、すべて仮のものです。
これは、1999年に起きた有名な医療事故です。
この年には、別の回で解説する「都立広尾病院事件」や「杏林大学割りばし死事件」など、世間の注目を集める大きな医療事故が複数起きています。
これらの事件をきっかけに、マスコミによる過剰なまでの医療バッシングと医療訴訟ブームが始まりました。
そんなことがあったんですか!?
私もまだ仕事に慣れなくて、ミスをしては先輩に怒られてばかりいるので他人事とは思えません。
この後、看護師の愛さんと杏子さんはどうなったんですか?
とても気になるところですね。
まずは、この医療事故の背景を探って事故の原因と、どうすれば良かったのかの対処法と、これからどうすれば良いかの対策法を考えていきましょう。
〈目次〉
- 医療事故が発生した背景と原因
- ・(1)2人の患者さんを、同時に1人で搬送
- ・(2)患者さんを引き渡す際のあやふやな確認
- ・(3)思い込みの返事と尋ね返さない対応
- ・(4)患者さん自身が訂正しない不運
- 医療事故から学ぶこと ~ コミュニケーションだけでなく、現場環境の改善が急務
- 本件の結末 ~ 罰金50万円と業務停止1か月
医療事故が発生した背景と原因
本件は、とんでもないうっかりさんが起こした医療事故というわけではなく、誰にでも起こり得る出来事です。看護師の愛さんと杏子さんのやり取りを振り返り、どこに問題があったかを見ていきましょう。
12人の患者さんを、同時に1人で搬送
新人看護師の愛さんは、同じ深夜勤務の先輩看護師にオペ出しを手伝ってもらうよう頼みましたが、「他の業務が忙しいから」と断られてしまい、患者さん(田中さんと木村さん)を、同時に1人で搬送せざるを得なくなりました。
2患者さんを引き渡す際のあやふやな確認
手術室勤務の看護師の杏子さんは、交換ホールで患者さんの引き渡しを受けましたが、患者さんの外見からは、どちらがどちらの患者さんか区別がつきませんでした。
しかし、ちょうどそのとき、手術室勤務の後輩看護師が近くにいたため、杏子さんは、患者さんの特定ができていないと思われたくないあまり、先に引き渡される患者さんの名前を確認するつもりで、「…田中…さん……」と、はっきりとしないあやふやな調子で、愛さんに声を掛けました。
3思い込みの返事と尋ね返さない対応
ところが、愛さんは、杏子さんが先に引き渡される患者さんは田中さんだとわかっていて、次に引き渡す患者さんの名前を聞いてきたものだと思い込み、「木村さんです!」と答えてしまいました。
そのため、杏子さんは、先に引き渡された患者さんは木村さんだと間違えて認識してしまいました。
4患者さん自身が訂正しない不運
その後、杏子さんは、田中さんに「木村さん、よく眠れましたか」と声をかけましたが、難聴があった田中さんは「はい」と返事をしてしまいました。この結果、田中さんと木村さんは取り違えられて、手術室に搬送されました。
手術室でも、田中さん、木村さんともに、それぞれの名前を呼びかけながら準備が進められましたが、2人とも間違った名前に対して応答してしまったため、田中さんに対して肺の手術が、木村さんに対して心臓の手術が行われてしまいました。
医療事故から学ぶこと ~ コミュニケーションだけでなく、現場環境の改善が急務
Point!
- 注意深く仕事をすることも、コミュニケーションをしっかりとることも大切だが、それだけで医療事故がなくなることはない。
- 根性論から脱却して、真に安全な医療現場となるよう環境を整えよう。
臨床現場はコミュニケーションだけでは不十分
上記を見ると、「引き継ぎをする際は、引き継ぎ相手としっかりとコミュニケーションをとらなかった2人の看護師が悪い!」と考えがちです。しかし、「もっとしっかりコミュニケーションをとるべきだ!」という再発防止策は、単なるスローガン以上の効果を示すことはありません。
これまで、わが国では医療事故が発生するたびに、現場にいる若い医療スタッフの責任にして、トカゲのしっぽ切りをしてきました。また、再発防止の対応も、何の役にも立たない精神論や、根性論を掲げるといったお粗末なものでした。
この結果、医療現場は全く安全にならず、同じような医療事故が繰り返され、患者さんの生命・身体が損なわれる状況が続いてきました。
圧倒的な人員不足の現場環境を変えることが医療安全につながる
実は、本件の事故の本質的な原因は、圧倒的な現場の人員不足と、それを填補するための患者確認システムの不備です。
わが国は、諸外国と比べると看護師数が4分の1程度という圧倒的な人員不足です。一人の看護師が切迫した時間の中、複数の業務を同時に行わなければならず、個人個人の注意力のみを頼りにしている状況では、事故が起きるのは当然です。
医療安全を推進し、職場環境がより安全になるように改善していくことが、最も大切なことです。
本件の結末 ~ 罰金50万円と業務停止1か月
本件では、民事責任については、病院と患者さんとの間で示談が成立しています。
しかし、刑事責任と行政責任として、看護師の愛さんと杏子さんは、ともに罰金50万円と業務停止1か月の処分になりました。
罰金50万円も請求されるなんて、怖いです。
先生の言うとおり、忙しすぎる環境をなんとか整えて欲しいです。
コミュニケーションも大切ですが、環境を整えることこそが医療事故の防止のカギなんです。
もちろん、報・連・相はしっかりしてくださいね。
ここで出てきた「民事責任」「刑事責任」「行政責任」については、『看護師は1つの医療事故で3つの法的責任を負う』で詳しく紹介していきます。
[次回]
[執筆者]
大磯義一郎
浜松医科大学医学部「医療法学」教室 教授
Illustration:宗本真里奈