【マンガ】大切な人が死ぬとき~私の後悔を緩和ケアナースに相談してみた~(13)

緩和ケアの現場が舞台のマンガ、期間限定の出張連載です(前のお話はこちら)。

終末期医療は、つらい仕事?緩和ケアナース木下さんの実感は…。

 

「緩和ケア」という仕事は常に最後は死と対面する。医療者は患者さんが亡くなってつらくなったりしないのだろうか。そう感じた作者は緩和ケアナースの木下さんに伺いました。すると、木下さんは、「確かに最初は、患者さんや家族の悲しみをわかろうとしてつらくなったりしていた。わかってあげられると思って一緒に泣いたりもした。でも私が30代前半のとき、自分の父が肺がんで亡くなって考え方が全く変わったの。」と言いました。

 

 

木下さんの父親は、電化製品の部品工場を営んでいました。職人気質で病院嫌い、検診には行っていませんでした。ある時、階段を登っただけで息を切らす父を説得して病院へ連れていくと、「肺がんが全身に転移。半年もつかどうか…治療は難しい段階です。」と医者からは診断されました。

 

 

『なんで看護師なのに気づけなかったんだろう』と木下さんは自分を責めました。結局抗がん剤治療をはじめましたが、父は食欲もなく、やせてしゃべらなくなっていきました。「家に帰りたい…」という父の言葉を受け、在宅医療に移行し、家で看病をすることになりました。ある日、名前を呼ばれ

 

 

「背中が痛いからちょっとさすってくれないか。」と父に頼まれました。しばらくさすると、「父はラクになったよ。ありがとう。」と微笑んでいました。木下さんは『お父さんが痛いと言うなんて…あんなに強かった人が…私たちを守ってくれた人が弱くなっている』という思いがめぐってきました。すると父は、なにかを察したのか「オレね。おまえのことは心配してない。安心してるんだ。」と目をつむりながら言うのでした。

 

 

そして、がんと告知されてから半年後、父は他界しました。父にすがってなく木下さんは、『親がいなくなるなんて思ってなかった。絶対的な存在が、私の土台が消えていく』と感じました。お葬式中、親戚たちは「あいつ、娘が大学院まで行ってるってすごい自慢してたんだ。」「看護師になったときも喜んでたよな。」と父の思い出を語りました。それを聞いた木下さんは、『私の前では言っていなかった』

 

 

『私ががんばることが父にとって安心できることなんだ。』と仕事に励んでいきました。しかし仕事場で「お父さん亡くなられたんだって?」などと同僚から声をかけられても『しゃべったことないのに…社交辞令はやめてよ!』と思ってしまいます。電車にのっても周囲を見て、『あの人は80過ぎてる。むこうの人は75くらい。父はまだ60歳。なんで死んじゃったの!?』と父がいなくなって湧き上がってきたのは怒りの感情でした。

(閲覧期限なし)

第14話は、1/29(水)公開予定です。

 

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【著者プロフィール】

水谷緑(みずたに・みどり)HP

水谷緑

著書は「コミュ障は治らなくても大丈夫」(吉田尚記、水谷緑)「まどか26歳、研修医やってます!」「あたふた研修医やってます。」(KADOKAWA) 他。小学館「いぬまみれ」にて犬漫画「ワンジェーシー」連載。

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