災害看護とは?~JR福知山線脱線事故からDMAT事務局にいたるまで~|災害看護の仕事【2】

「保温や毛布の配布は看護師じゃなくてもできる。じゃあ、看護師が現場にいる意味って…?」

DMAT事務局で活躍するナースが、自身の苦しかった日々を語ります。

(▶前回のお話

もっともっとやれるナースの力。災害看護とは?~JR福知山線脱線事故からDMAT事務局にいたるまで~

DMAT事務局で活躍するナース千島さんが探し続けているもの…。あの時私が災害現場にいた意味は何だったんだろうと疑問に感じる千島さん。

その疑問の発端は、時間を遡ること2005年4月25日に起こったJR福知山線脱線事故である。

当時、千島さんは救急外来のナースでした。夜勤を終えて休憩をしていると、勤務中のナースがバタバタと動いていることに気がつき、何かあったかと声をかけました。

「車が電車にぶつかったみたい。受け入れの準備だけ手伝って!」と同僚にお願いされて千島さんは、受け入れ準備を手伝うことになりました。ところがまもなく、その事故がJR福知山線の脱線事故だとニュースで知り、「大変なことが起きた」と誰もが気がついたのでした。

病院は一般診療を中止し、負傷者を受け入れることを決めました。千島さんは救急車に乗り、現場に向かいました。当時はまだ、ドクターカーを運用していませんでした。

現場についた千島さんが最初に見たのは、線路上の脱線した車両でした。『車両は原形も留めているし、そんなにけが人もいないかな…』と少し安心したのはつかの間。

実際、車両の1両目と2両目は線路わきのマンションに激突し、見る影もなく大破していたのです。死者107名、負傷者563名の大惨事でした。

千島さんは、怖いという感情はなく、淡々と処置をしました。ただ…青空の下に遺体が横たわる異様な光景に衝撃を受けます。

千島さんにできることは限られていました。輸液路を確保する、保温をする、声をかける…他にも現場に駆けつけた様々な隊員の方たちの怒号が飛び交う中、時がたつ…。

トリアージタグ導入後、日本で初めて現場でタグを使用したナースは、値島さんでした。遺体もある光景を、撮影するマスコミなどに嫌な思いもしました。そして、千島さんが気がつくとご遺体は移送されていました。

事故当日の嵐のような一日が過ぎ…日常業務へ戻ってきたとき…

千島さんにはある疑問が芽生えました。『あの時、私がそこにいた意味って何だったのだろう…?』

「何もできなかったと思いました。」と千島さんは語ります。「保温をしたり、遺体をおおったり、それにどれほどの意味があるのか、ナースが現場にいる意味は…?」「ナースでなくても毛布はかけられる…では、ナースである私が意味はなんだろうと」と続けます。

「そして、気がつくとその答えを探して、救急認定の学校に通ったり、本を読んだり…」と話す千島さんに、「…答えは見つかったのですか?」と質問をすると、「いいえ!」と首をふる千島さん。

『災害時の看護』はこうだ!とは誰も教えてくれない。ただ、本の中に「災害看護は看護の原点」「何ができるか考えることも看護」と書かれていたのをみて…「そういうことかな?」と自分を納得させて進んできたと話す千島さん。

「救急認定を取られてから、現場へは…?」と質問をすると、千島さんは、記憶を辿りながら「交通事故の現場に行ったり、東日本大震災のときも行きましたね。」とDMAT隊員の体験を話します。

そのうちひとつの『駒』でいることに満足できなくなった千島さんは、「もっと広くコーディネートする側になりたい!と思って資格をとり、病院をやめて、DMAT事務局に入りました!」と驚きの行動力をさらっというのでした。

【取材・マンガ】明(みん)

看護師・漫画家。沖縄県出身。大学卒業後、看護師の仕事の傍らマンガを描き始める。異世界の医療をファンタジックに描いたマンガ『LICHT-リヒト』1~3巻(小学館クリエイティブ)が好評発売中。趣味は合気道。

 

(参考)

鉄道災害対策ホームページ(内閣府)

 

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