ボランティア看護師被災地レポート「気仙沼で過ごした1週間」/前編
2011.3.11、東北地方を中心に襲った「東日本震災」。震災直後から、多くの医療従事者が現地に赴くなか、東京からも1人の看護師がボランティアとして5月、宮城県気仙沼市に向かった。
草間健二さん(38歳)は、都内で鍼灸治療院を開業する鍼灸師兼看護師。
「震災後、何か自分にできることはないか」という思いから、PCAT(日本プライマリ・ケア連合学会 東日本大震災支援プロジェクト)に登録。
5月24日~30日の1週間、避難所の「気仙沼中学校」など3か所でボランティア活動を行うことに。
「ナースコールの代わりに自転車のベルを使っていた」「大切な仕事はトイレのスリッパ制度を作ること」など、
震災から約2か月後の“リアル”を聞いた。
「覚悟はしていましたが、街が街でなくなっているのを目の当たりにすると、言葉を失いました」と話す草間さん。
船が道路の真ん中に打ち上げられている―。気仙沼市自体がそういう状況というだけあって、避難所や患者さんを取り巻く環境も厳しかったと話す。
「例えば、震災直後は、ライフラインがすべて止まったので、介護が必要な方などは褥瘡がひどくなって本当に大変だったと聞きます。
また、今回、私は伺えなかったのですが、PCATが石巻市に、病院のワンフロアを借りて介護度の高い患者さんのための施設を作っており、そこではナースコールもないので、自転車の“チリンチリン”というベルを応用して使っていたそうです」
もちろん急性期の患者さんは病院へ移送するルートも確保していたというが、できるところは自分たちで、という思いから、急場しのぎながらも奮闘。
また、草間さんが担当する避難所ではドアと仮設トイレに距離があることから衛生面に問題があることに気づき、仕切りを作ったりスリッパ制度を設けたりと、避難所にいるみんなで改善をはかっていったという。
一方、避難所に身を寄せる被災者には、「高血圧」や「ストレス」という深刻な問題も出ていた。
「当時はまだ下水が復旧しておらず、カップラーメンのスープが流せなかった。
そのためスープを飲みきらねばならず、結果的に多くの方が高血圧になっていました。加えて、震災後2か月以上経っていたので、不慣れな共同生活から生まれる“不具合”が、様々なストレスを生んでいました」
―― 後編へ続く――
草間健二…鍼灸師・看護師。「鍼灸 健美・大山」(東京都板橋区大山東町28-6 ダヴィンチ板橋Ⅰ-203)院長
http://kenbi-ohyama.net/index.html (PCサイト)
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